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題名を、『帆船の社会史−イギリス人船員の証言−』と欲張ってみたものの、それにふさわし いものとなったかどうかは、誠に心もとないものがある。事実誤認や意味の取り違えもなくはな かろう。ただ、近世イギリスにおける船員の近代化過程について、具体的なイメージがそれな りに出ていれば、当初の目的はほぼ満されたといえる。いまさらながらに付け加える必要はな いが、船員という職業は近代の職業とはちがって、長い苦難の歴史をたどらざるをえなかっ た。 封建的生産から資本主義的生産への転化とその短縮のため、船員はその転化の側にあり ながら、早生の賃金労働者として植民地の原住民や黒人奴隷に勝るとも劣らないような取扱 いを受けたのである。そこで、船員が未知へのあこがれや何ものも恐れない冒険心を持って いたことが、その悲劇を大きくした。それを今どう学び取るかが、われわれの課題である。 小門和之助氏は、「現代のわが海運企業における船員の労働条件及び労働状態の歴史的 な背景を、明治初年にわが国が模倣した西洋海運企業形態の拠ってきたる中世(および近 世)における西洋海運企業形態のなかから見出さん」(『船員問題の国際的展望』20ページ)と され、「中世紀におけるヨーロッパの船員社会」(1954年執筆)を書いている。その近世編とし てまとめたのが、この書物であるが、ただ事実を整理したにすぎず研究としては未完成であ る。それはいずれものにしたい。 それでは、日本はどうかということになるが、現在「海員史話会」というささやかな組織があ り、戦前といっても大正期以後の退職船員の聞き取りや、明治以来の船員労働・生活資料の 収集を行い、「日本人船員の社会史」の集成に努めている。それにあたっての比較資料として も用意したものでもある。 さらに、1983年10月、大阪城築城400年を記念して開かれるオオサカ・ワールド・セイル (大阪・世界帆船祭)を目指して、急ぎまとめたものである。 なお、第4、6−14章は、全日本海員組合機関誌『海員』1982・1−10月号に掲載したも のを、大幅に補足したものである。
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