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 近世のイギリス軍艦の乗組員の構成や職名は、軍艦の大きさや時代によって変るが、およ
そは別表の通りである。まず、乗組員は大きく砲術系、生活系と運航系に分かれる。運航系
の乗員のほとんどは、前述したように、強制徴発されてきた商船船員であったが、彼らこそ実
質的な戦闘要員であった。
 艦長は佐官であり、一艦の指揮者である。艦隊を指揮するのは将官で、提督(admiral)と呼
ばれた。尉官は数人乗艦しているが、先任尉官は副長として、尉官を通じて航海、戦闘、規律
について直接に指揮していた(商船の主席士官もこれにはぼ同じ)。士官候補生とは少し格好
のよい呼び方であって、実際は士官の徒弟として職務を知る他、士官の伝令、乗員の督励、
船内の見回りを行った。艦長、尉官、士官候補生が正式の海軍士官である。イギリスでは、特
定の貴族や一家が海軍士官になっていた。そうした階層出身の士官の昇進はきわめて早かっ
たが、そうでない係累や縁故のない士官の昇進は遅く、いつまでも士官候補生にとどまるもの
もいた。掌砲長は、銃砲や火薬の整備、乗員の砲術の訓練にあたり、海戦になると砲手に技
術的な指示を与えていた。
 軍艦では、生活系の乗員や運航系の帆走長、掌帆長、大工、銅工はおおむね准士官
(warrant officer)として扱われていた(19世紀になって帆走長や士官は尉官扱いとなる)。帆
走長は、通常、航海長と訳されるが、商船でいえば船長で、航海や操船、船の保守・整備につ
いて技術的な責任を持っていた。掌帆長は、現在の甲板長にあたり、セールや索具など艤装
品の整備にあたる他、乗員の点呼、乗員の処罰を行った。海戦が始まると、有能船員や一般
船員は砲手に早替りして、それぞれの持ち場で戦闘配置につくことになった。運航系の乗員
が、海軍士官になれなかったわけではないが、それはきわめて少なかった。なお、日本の海軍
は、イギリスで海軍と商船の乗組員がはぼ完全に分離した後で創設されたこともあって、いま
みてきたような状態ではなかった。
別表:近世の軍艦(商船)乗組員の構成と職名
(砲術系)
艦長 captain
尉官 lieutemant
士官候補生 midshipman
掌砲長 gunner
(生活系)
軍医 surgeon
事務長 purser
司厨 steward
料理人 cook
(運航系)
帆走長 sailing master
士官 master’s mate
掌帆長 boatswain
大工 carpenter
銅工 cooper
操舵手 quarter master
縫帆手 sailmaker
有能船員 able seaman
一般船員 seaman
 
 軍艦の運航系が、商船乗組員の構成と職名にほぼあたる。イギリスでは、19世紀末まで、
商船の船長はキャプテンと呼ばれず、マスター(親方)と呼ばれていた。それはギルドからきて
いるとみられるが、現在でも日本でいう甲種船長はマスター・マリーナー(上級船長)、その上に
エキストラ・マスター(特別船長)という名称の資格がある。また、現在でいえば航海士をオフィ
サーとはいわず、長年にわたってマスターズ・メートと呼ばれてきた。それは、ボースンズ・メー
トもいたように、一方に親方と職人の関係があり、他方で同じ食卓で食事ができるという資格を
示していたとみられる。なお、イギリスで19世紀中頃、海技資格制度が確立するまでは、航海
者でなくても船長になることができ、キャプテンと呼ばれていた。そうした場合、航海者はパイロ
ット(水先案内人)とも呼ばれていた。
 なお、帆船時代の船員の航海当直は、2直6交代制したがって労働時間は1日12時間であ
った。当直要員は、主席士官が指揮する左舷直と次席士官の右舷直に分かれ、4時間当直、
4時間非番を繰返していた。それでは同じ時刻ばかりになるので、土曜日の午後4−8時の当
直時間を2つに分ける折半直(dog watch)を設け、当直時刻の切替えを行っていた。ただ、大
型の東インド会社船では18世紀末になると士官の当直は三直制となり、士官2人と士官候補
生1人が4時間の当直に入り、次の8時間は非番になる慣行(4時間当直2回、8時間非番2
回という、現代における三直6交代制)となった。しかし、一般の船員は2直制のままであり、他
の船でも三直制はごくまれにしか行われなかった(コース148ページ)。このように、航海中の
労働時間制は週84時間制であった。三直制、週56時間が普及するのは、第1次世界大戦後
である。
【補遺】
 なお、世界一周したマゼラン船隊の見張りは、次のようであったという。「見張りは三交替だっ
た。最初の見張りは日没から真夜中まで、第2の見張りはメドラと呼ばれ、深夜から朝まで、第
三は夜明けから日没までであった。「全乗組月が3つの班に分かれ、第1の班は船長(カピタン)
と水夫長(コントラマエストレ)が毎夜交替で指揮をとり、第2班は航海長(ピロート)か舵手、第3
班は副長(マエストレ)がそれぞれ指揮をとった」と、[世界一周航海記を残した]ビガフェッタは書
いている」(増田義郎著『マゼラン』、p.99、原書房、1993)。

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