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 Googleを使って、キーワード「機帆船」を検索したところ2,830件( Infoseekでは188件)であっ
た。絞り込み検索したところ、船員で138件、海運で130件、石炭で97件、経営で83件、船主で
71件、写真142件となった。
 ヒットしたWebページは千差万別であるが、大きく括っていえば、それを直接扱ったものはな
く、まず町や港、人の歴史や取材に関連したものが目につく。ついで、戦時中、機帆船に関わ
った人びとの思い出や、その戦時統制に関する資料情報などである。
 これといった決定的なWebページはないが、次のページは参考になろう(順不同)。

現代内航船主経営史の研究
 この著書の宣伝文の一部と目次は、下記の通りである(小生、未見)。
千須和富士夫著 『現代内航船主経営史の研究』
 A5判 上製 624頁 多賀出版株式会社、2002本体 9,500円
 昭和58(1983)年の東京商船大学・笹木弘教授らの共同研究『機帆船海運の研究』以来、19年ぶりに内航海運の本格的研究が出現した。
 前半を瀬戸内海の小村汽船(株)生成史に当て、創業者で経営主体である現役小村進氏に焦点を絞り、船員から5隻の内航船舶貸渡業へと成長した経過を、経営思想、経営倫理、意思決定過程を同氏の人生軌跡をたどり、実証する。
[目次]
第一編 ある瀬戸内船主の現代史――小村汽船の場合
  第一章 立志
  第二章 独立――資本の原始的蓄積期
  第三章 成長――資本の高度蓄積期
  第四章 守成――低蓄積期
第二編 小村汽船の経営分析
  第一章 社史資料の性格
  第二章 経営分析
  第三章 経営史的総括
第三編 広島県下木江海運支局管内の内航船主の性格分析
  第一章 木江地区内航船主の実態調査
  第二章 地方内航船主の実態――岡山県日生地区、愛媛地区船主との比較
第四編 日本内航海運市場の構造
  第一章 国際的関心
  第二章 内航海運市場規制の法体系
  第三章 需要の特性と市場規模
  第四章 内航海運事業の供給側特性と共同企業船団
  第五章 定期航路事業を巡る諸問題
第五編 内航海運市場改革――産業政策と競争政策のせめぎ合い
  第一章 産業政策と競争政策
  第二章 第一次構造改革運動
  第三章 規制緩和運動
  第四章 第二次構造改革運動
  第五章 市場構造ビジョン論の検討
  第六章 構造改革の道――市場、企業組織、事業運営、労働
上関斗争勝利の記録
 この著書(長周新聞社、1984)は、山口県熊毛郡上関町に、中国電力の原子力発電所建設計画に反対し、それを阻止した記録をまとめたものである。その紹介文のなかに、次のような文章が書かれているが、それ以上か以下かは不明である(小生、未見)。
 上関町は、 古来より、 九州と畿内を結ぶ海上交通の拠点として栄えた。 室町・戦国時代には貿易船も営んでいた村上水軍の拠点となった。 徳川幕府時代には、 北前船や参勤交代の寄港地となった。 魚をとるために船を操っていた住民が、 これら海運業のための帆船に乗り組んでいき、 やがて自ら船を仕立てて海運業に乗り出していった。
 明治以後では、 政府の石炭振興業とも結んで、 明治末、 大正期、 そして戦後の 「石炭から石油へ」 のエネルギー転換に到るまでの、 白井田、 戸津を中心とした石炭運搬の帆船、 のち機帆船業が有名である。 最盛期には、 それぞれ八〇隻から一〇〇隻が仕立てられた。 これらの上関海運業は漁業とともに、 漁業を基礎にして発展したのである。 今日でも漁民とともに船員が大きな比重を占めている。
 上関町の繁栄の歴史を語る時、 北前船の時代をさけることはできない。 当時瀬戸内海沿岸地域は、 塩や紙、 ろうなどの特産品、 マニュファクチャー経済が発達、 上関はその中心地で、 それら特産品の集積地となり、 多くの問屋が発達した。
 上関町の産業として海運とそれを担う船員が多いのも特徴である。 上関町における海運会社は、 最近運搬船として戦後、 復興期から朝鮮戦争時に最も隆盛をみたが、 炭鉱閉山と石油へのエネルギーベースの転換にともなって壊滅状態となった。 その後数軒が共同して会社を設立し大型の鋼船タンカー船へと転換したが、 かなりが行き詰まり、 現在では、 白井田、 戸津、 上関、 蒲井などに一〇社余りがある。 船員は、 白井田で約五〇人など各地に多い。 船員は、 退職後、 漁船を買って漁業で生きていく人が普通である。
 おもに漁業、 以前にはかなり海運業と結びついて、 造船、 鉄工などが伝統をもっている。いわゆる運送用機械、 器具製造業としては七社四一人が働いている。 四代は特に船大工の出稼ぎが有名で、 昭和の初めには一〇〇人以上がいた。 現在では地区内に一人であるが、 今でも他所に出ている人、 家大工に転じた人などを含めれば二〇〜三〇人はいるという。 町内でも、 柳井や平生、 下松の造船関連会社に通っている人も目立つ。
海運の伝承 - 鹿児島の民俗
 このWEBページは、井上賢一(日本民俗学会会員)「海運の伝承―鹿児島の船乗り・船主・運搬船―」という論文の宣伝ページである。
 『民俗宗教と生活伝承―南九州フォークロア論集』(編者:下野敏見、発行:岩田書院、発行日:1999.5、定価:11,800円+税、規格:A5版・444ページ・上製本・箱入り)の所収
 その目次は次の通りである。江戸、明治、大正までの地域海運史をまとめている(小生、未見)。
[目次]
はじめに
一 地域的海運の運搬船
 1 運搬船変遷の概要
 2 地域的運搬船の諸相
  (1) 知覧海運の運搬船 (2) 加世田海運の運搬船 (3)佐多における運搬船
 3 地域的海運の運搬船
   (1) 帆船の時代 (2) 機帆船の時代 (3) 動力船の時代
二 地域的海運の航海と民俗
 1 地域的海運の航海
   (1) 知覧海運の航海 (2) 加世田海運の航海 (3) 佐多における海運
 2 航海と民俗
   (1) 船乗り (2) 自然と航海 (3) 信仰・儀礼 (4) 俗信・禁忌
三 地域的海運の変遷と変容
 1 鹿児島海上交通史の概要
 2 地域的海運の盛衰
   (1) 知覧海運の盛衰 (2) 加世田海運の盛衰 (3) 佐多における海運の盛衰
 3 地域的海運の変遷と変容
結び
瀬戸内海歴史民俗資料館MUSEUM
 瀬戸内海歴史民俗資料館のホームページである。同館は、周知のように、日本で唯一の最大の海事民俗博物館であり、国の重要有形民俗文化財である「瀬戸内海及び周辺地域の漁撈(ぎょろう)用具(2,843点)」と「瀬戸内海の船図及び船大工用具(2,813点)」や、木造船など1,200点余が、第1〜8展示室が常設展示されている。このホームページには若干の図版が掲載されている。
海運支える誇り脈々/船主の港 
誇り胸に機帆船守る/兄弟の夢
焼き玉機帆船姿消す/天神丸有情
大工の技量風前の灯/木船の里
 これらのWEBページは、中国新聞のホームページにある特集「瀬戸内海を歩く第4部航路白く」などに掲載されている、現役を含む機帆船の船種や乗組員の取材記事(写真を含む)である。
瀬戸内・海の路
 このWEBページ「海をめぐる・瀬戸内海の歴史」は、瀬戸内・海の路ネットワーク推進協議会が運営しているサイトのなかにある。遣唐使、天平時代、北前船時代(機帆船時代もほぼ同じ)の瀬戸内海の航路図が表示しされている。WEBページ「戦前の機帆船海運の研究」には、それを示さなかったので、これを参照されたい。
愛媛新聞しまなみ特集・しまなみ企画記事
 愛媛新聞のホームページにある「しまなみ海人史紀行(10)海と船、それぞれの時代」として、愛媛県越智郡波方町役場に展示されている機帆船の模型が示され、同町の水軍や海運につての簡単な歴史記事が書かれている。
若松浪漫の会
 このサイトは、若松の歴史と21世紀の未来を展望する街づくり冊子『若松浪漫』を紹介している。『若松浪漫第2号』には、「港町わかまつ」が特集されている。
 その巻頭言は、「明治に至り、若松が、筑豊炭田の石炭積み出し港となってから築港が進み、当時の状況は欧米の港にも比較され、世界屈指の帆船港となっていきました。若松のゴールドラッシュ時代がそこにはありました。若松駅の貨物取り扱い高が石炭によって全国一になったのは、わずか40年前のことです」という。
 「みなと若松座談会@みなとまち若松昔ばなし」は、川船にのって若松へ、千両の貨車が石炭を積んで、神功皇后と洞海湾、年貢米の積み出し港・若松、やがて石炭の時代に、帆船、汽船がつぎつぎに、若松築港のあゆみ、機帆船全盛時代へと、エピソードあれこれという順序で進められている。

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