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便宜船員の歴史的考察
―労働力の国際移動、
移民、外国人労働者との対比において−
Historical Consideration of Convenient Seafarers
−In comparison with international migration of labor force,
immigrants, and foreign workers−

篠 原 陽 一

目次
1 はじめに
2 労働力の国際移動の歴史
3 戦前における便宜船員の発達
4 戦後における便宜船員の発達
5 便宜船員の若干の特徴
6 おわりに

1 はじめに
 われわれは、戦後の資本主義世界海運の構造変化の一つである便宜置籍船化【1】につい
 て資本・賃労働関係から接近しようとして、便宜船員の類型化とその量的分析を行った【2】。そ
 こであきらかになったことは、便宜船員には、表1にみるようにいくつかの類型があるが、(1)
 先進海運国船に乗組む途上国および他の先進国船員である戦前型便宜船員と、(2)便宜置
 籍船に乗組む途上国および先進国船員である戦後型便宜船員という2大類型がある。そして、
 最近において、世界の外航船に需要されている船員約85万人のうち、表2表3に示すように、
 戦前型便宜 船員が約8万人(9%)、戦後型便宜船員が約30万人(35%)、合計約38万人
 (45%)に及んでいることなどであった。

表1 便宜船員の類型
      供給
 需要
開発途上国船員
先進海運国船員
先進海運国船 1 混乗途上国船員 4 流動先進国船員
便宜置籍船
2 離国籍途上国船員 5 離国籍先進国船員
開発途上国船 3 流動途上国船員 6 混乗先進国船員
(備考) 1.1、4: 戦前型便宜船員
     2.2、5: 戦後型便宜船員

表2 便宜船員雇用国の類型別船員数(推定)(単位:人)
雇用国
自国民
(1978)
便宜船員
合計
戦前型
(1978)
戦後型
(1979)
 ギリシャ
 日本
 イギリス
 アメリカ
 西ドイツ
 ノルウェー
 香港
 デンマーク
 フランス
 オランダ
 フィンランド
 オーストラリア
 スウェーデン
 イタリア
 ベルギー
 カナダ
46,565
64,757
76,706
20,205
24,344
28,308
-
15,734
13,645
5,898
8,742
4,923
6,799
-
2,532
-
20,81
29,000
16,000
-
6,832
3,600
-
3,040
-
4,473
 280
3,533
3,095
-
414
-
32,130
24,690
4,260
26,280
11,790
3,660
27,900
1,470
1,080
3,840
-
-
-
3,420
-
2,130
99,507
98,447
96,966
46,485
42,966
35,568
27,900
20,244
14,725
14,211
9,022
8,456
9,894
3,420
2,946
2,130
合  計
 319,158
  71,079
142,650
532,887
(備考)1 本文脚注2)の資料を修正したものである。表3も同
じ。
     2 UNCTADの便宜置籍船集計は6,734隻であるが、ロイ
ズ総計では8,000隻を超える。
      3 便宜船員は乗組員数。

 表3 供給国別便宜船員数(推定)(単位:人)
供給国
戦前型 戦後型
合計
イギリス
 ギリシヤ
 スカンジナヴィア
 地中海諸国
小計
5,000
1,000
5,000
5,000
16,000
10,000
20,000
25,000
25,000
80,000
15,000
21,000
30,000
35,000
96,000
バングラデシュ
 インド
 パキスタン
 シンガポール
 インドネシア
 フィリピン
 香港
 台湾
 韓国
 その他(調整数)
小計
1,000
11,000
1,000
1,000
3,000
4,000
30,000
3,000
-
10,000
64,000
4,000
24,000
4,000
4,000
17,000
36,000
50,000
27,000
40,000
14,000
220,000
5,000
35,000
5,000
5,000
20,000
40,000
80,000
30,000
40,000
24,000
284,000
合計
80,000
300,000
380,000

 このように、みずからの国籍とは異なる外国船に需要される便宜船員が、世界船員の約半
 数を占めていることはきわめて特異で重大な事態といわねばならない。この事態は、海運活動
 がそもそも国際性をもっているといった、一般的な特質から証明しうるものではないだろう。資
 本主義のもとでのいわゆる労働力の国際移動は、なにも世界海運にかぎられたことではなく、
 資本主義の発達段階にしたがって、植民、移民、「難民」、頭脳流出、外国人労働者、国境労
 働者、海外駐在員などといったいろいろな形態をとりつつ、長い歴史を持ちかつ世界的な規模
 でみられる社会現象である。船員の国際移動も、こうした資本主義世界における労働力移動
 と、けっして無縁ではないであろう。
  それにもかかわらず、便宜船員問題には、資本主義生成期から独占段階にかけてみられた
 植民・移民問題はもとより、現代のヨーロッパにおける外国人労働者問題とは、いろいろな側
 面においてかなりの種差を見出しうる。そういってみたところで、戦後段階における便宜船員
 問題と外国人労働者問題とが、アメリカを中心とした多国籍企業の展開にともなう労働力の移
 動と配置を構成し、またそれら労働者の外国での就業が低賃金で無権利な状態、簡単に不安
 定雇用の状態におかれているという共通点をもっていることも、確かである。
  そこで、ここでは便宜船員すなわち船員の国際移動が、どのような特質をもっているかを、一
 般的な労働力の国際移動と対比しながら解明し、現代資本主義世界における労働者搾取の
 国際化とそのための労働力配置として、どのような特徴をもつかについて接近してみることとし
 たい。

2 労働力の国際移動の歴史
 森 広正氏は、「資本主義は、その発生とともに、全世界をその搾取と支配のもとに包括する
 ものであり、したがってまた、資本主義の歴史は、同時に、労働者移民の歴史でもある」と、そ
 の普遍性を指摘するとともに、「それぞれの歴史的発展段階の違いに照応した『労働者移民』
 および外国人労働者問題の違いを明確にし」【3】なければならないと、その段階性を強調す
 る。游 仲勲氏は、これまで「労働力の国際移動を、資本主義の独占、帝国主義段階突入以
 前の時期の現象とみる見方が、支配的で」、しかも「主として、先進資本主義諸国(ヨーロッパ)
 から他の先進資本主義諸国(ヨーロッパ、新大陸)への、労働力の国際移動しかみていない」
 と批判し、そのなかでも「旧中国、インドなどの低開発諸国から東南アジアその他の低開発諸
 国への労働力の国際移動が、むしろ帝国主義段階にいたって増大をみた」【4】ことを強調す
 る。
  こうした研究をふまえかつ若干の補正を行なっていえば、労働力(その主要な部分は賃金労
 働力)の国際移動の歴史は、資本主義の発展段階および供給国・需要国の関係から、次のよ
 うに概括しうるであろう。
  資本主義の生成期の本源的蓄積の段階においては、15世紀末から16世紀はじめにかけて
 の「地理上の発見」以来、スペイン、ポルトガル、オランク、イギリス、フランスは、アメリカ、アジ
 ア、アフリカに植民地を建設していった。そのなかで、先進国から植民地にむけて、少なからぬ
 植民が行なわれ、プランテーションが建設されていった。そのでは、「原住民の掃滅と奴隷化と
 鉱山への埋没」【5】などが行なわれたが、それでも労働力の不足は補えず、地獄のような奴隷
 船によるアフリカから新大陸への黒い商品の移動、すなわち黒人奴隷貿易でまかなわれた。
 その数は約1,500万人に及ぶ。この植民地制度は、「資本主義的生産の時代の曙光を特徴づ
 け……本源的蓄積の主要契機」【6】として、産業資本家を生成させた。いま、資本主義的生産
 の生成条件を、労働力側面だけからみるならば、それは植民地本国における賃金労働力の
 創出およびその国内・国際移動と、植民地における奴隷の狩立ておよびその国際移動という
 二重の過程として示される。
  産業資本主義が確立する段階になると、資本主義的蓄積の一般的法則は労働者の貧困と
 相対的過剰人口をたえず創出する。その一方、新大陸では資本主義が開発途上で、しかも広
 大な未開墾の土地が残されていた。こうした状況のもとで、1820年代から1890年代にかけてイ
 ギリス、ドイツ、スカンジナヴィア諸国からアメリカ、さらにはオーストラリアヘの移民がみられ
 た。それは旧移民とよばれ、アメリカヘの移民は1880年代ピークをなし、1820〜1930年におい
 て約1,800万人を数えた【7】。この旧移民は、移民後ただちにあるいはしばらく賃金労働者であ
 ったのち、自営農民あるいは手工業者、商人に転化することを目指し、またそれが可能となる
 移住条件のもとでの移動であり、基本的に賃金労働力(者)の国際移動ではなかった。それ
 は、ヨーロッパにおける資本蓄積の一般的法則の作用(反発要因)が前提となってはいたが、
 新大陸における広大な移住地の残存とそこでの植民地経済の本格的な発達という吸引要因
 が、主要な契機をなしていたからである。
  他方、旧中国、日本などのアジア諸国から新大陸への移民がみられたが、1880年代より受
 入国の黄色移民制限・禁止にともない衰退し、その数は100万人にも満たなかった。なお、イギ
 リス資本主義確立初期において、アイルランドからイギリス本国への移民がみられたが、それ
 は次にのべる新移民の前史をなすものであり、旧移民の反発要因を補強するものであった。
  19世紀末より、資本主義は帝国主義段階に入って行くが、そのもとでの労働力の国際移動
 は2つの類型をもって展開する。
  第1に、イタリア、オーストリア、ロシアといった後進資本主義諸国から独占資本主義国となっ
 たアメリカおよび西ヨーロッパ諸国への移動である。それは新移民とよばれ、すでに衰退しつ
 つあった旧移民にとってかわり、その減少をおぎなうかたちで、急速に増加していった。それは
 1900年代においてピークとなり、アメリカヘの移動だけで1820〜1930年において約1,400万人を
 数えた【8】。アメリカは、すでに十分に発達した資本主義国となっており、もはやフロンティアで
 はなくなっていた。そこで必要な労働力は、低賃金・不熟練労働力であったが、それを充足した
 のが、南東ヨーロッパの後進資本主義諸国において資本蓄積の一般的法則の作用から反発
 された労働者であった。したがって、それは反発要因が重要な役割をはたしていたといえる
 が、森氏が強調するように総括的には独占資本主義段階における資本主義諸国の不均等発
 展にもとづく移動といえる。それは、すぐれて賃金労働力の国際移動であり、その後の移動の
 原型となった。なお、旧移民、新移民を合せ、ヨーロッパからの海外移民は、1820〜1930年に
 おいて約6,000万人に及んだとされる。
  第2に、こうした新移民も第1次世界大戦を境にして減退していくが、それに対し旧中国、イン
 ドなどアジア諸国から東南アジア、アフリカ諸国への移民がみられた。この華僑・印僑とよばれ
 る途上国から途上国への移動を、游氏は先進国から先進国への移動にならぶ労働力の国際
 移動の基本型ととらえている。その数は、1930年までの100年間において、約5,000万人にも及
 んだと指摘している。そして、「外国資本主義のアジア(とくに旧中国)侵入以降の時期の、とく
 に帝国主義の産物」であり、「世界資本主義の全般的危機の到来……階級闘争のいっそうの
 激化を恐れて……安価な労働力の移入(新移住)さえも禁止し……国内では労働力と有利に
 結合されえない過剰資本を低開発諸国に輸出して、そこでより安価な労働力と結合することの
 ほうに、有利さを感じた」【9】。その場合、「帝国主義は……土着民族支配層の支配の土台を
 なす前資本主義的経済諸関係を掘りくずすことを、なるべくさけ」【10】、生産力「拡大のための
 労働力需要を、外部(他の低開発国)からの移民労働力の導入によって満した」【11】と分析し
 ている。この労働力の国際移動は、帝国主義の一大特徴である資本の輸出が途上国におい
 て反発要因となり、それが同時に他の低開発国でも吸引要因になることで形成された賃金労
 働力の移動であった。それら華僑、印僑は定住したものも少なくないが、その多くは出稼ぎ後
 帰国している。
  帝国主義の戦後段階、すなわち「資本と生産の世界的集積」が、アメリカの多国籍企業の展
 開により「新しい段階」に押しあげられたもとでの労働力の国際移動は、1960年代から増大し
 た南東ヨーロッパ諸国から西ドイツを中心にした西ヨーロッパ諸国への移動、すなわち外国人
 労働者である。この外国人労働者は約1,000万人を超えるとされているが、旧来の移民とはこ
 となって、「祖国を棄てさせ」てもらえない出稼ぎ労働者である。外国人労働者は、資本蓄積の
 一般的法則および資本主義の不均等発展の法則を基礎におきながらも、アメリカの多国籍企
 業の主導のもとでの国際独占体の特殊な蓄積機構と労働運動の対応から定着させられた、
 戦後特殊的な労働力の国際移動である。これを、森氏は“資本の国際化=『搾取体系の国際
 化』、今日の資本主義世界体制における国際的貧困化の一傾向、現代帝国主義における寄
 生性の深化、その危機の深化の産物”の脈絡においてとらえるべきことを強調している【12】。

3 戦前における便宜船員の発達
 イギリス商務省『非居住船員の雇用に関する報告』は、「イギリス以外に居住するイギリス船
 部員の雇用は、17世紀以降のイギリス海運の特徴となっている。イギリス船の乗組員には“女
 王の臣民”を雇用することが、国の政策として奨励されていた。しかし、1660年に“東洋に行く”
 イギリス船の乗組員は、その4分の3がイギリス人でなければならないとする法律〔第2次航海
 条令、引用者注〕が制定された。18世紀末にかけて、喜望岬以東で雇用される“Lascars”(こ
 の言葉はインドや中国出身の船員を示すために使われる)に関する規定が設けられた。19世
 紀のあいだ、かれらの雇用は立法府の承認を受けてつづけられ、そして航海条令の廃止にと
 もない部員の労働市場はすべての希望者に開放された。外国人部員のかなりの流入がみら
 れたが、それは主として北ヨーロッパからの流入であった。イギリスの離島、北ヨーロッパそし
 てアジアという3つの供給源は、第1次世界大戦までつづいた労働市場の傾向であった。その
 間、北ヨーロッパ人はいろいろな理由から、目立った数ではなくなっていった。1919年の外国人
 制限改正法Aliens Restriction(Amendment)Actは、雇用されつづけているアジア人船員とそ
 の特殊な賃金率に関する地位を、法制的に確立した。アジア人部員に低賃金を支払うという船
 主の自由は、1968年人種関係法Race Relations Actまで制約されることはなかった」【13】との
 べている。
  このように、イギリスが1588年スペイン無敵艦隊を撃破し、アジアに商品市場を開拓したと同
 時に、自国船に外国人を雇用しはじめている。したがって、便宜船員はすでに約400年の歴史
 を持つことになる。なお、外国人船員は、われわれのいう第1類型の混乗途上国便宜船員で
 あるインド人や中国人ばかりでなく、第4類型のヨーロッパ人がそれより先に乗船していたこと
 はよく知られている。
  イギリスが、1660年第2次航海条令において、商船の国家的な安全と矛盾すると考えられた
 にもかかわらず、なぜ外国人船員の雇用を承認せざるをえなかったか。ヨーロッパ諸国は、
 「地理上の発見」以来、海上覇権をめぐって海上で戦争と私掠にあけくれるが、海軍や商船は
 いつも船員不足に悩んでいた。その当時、海軍はもとより商船においても、船員の賃金は陸上
 よりも安く、苛酷な労働と生活があるだけでなく、病気や戦闘で死ぬのが当り前になっていた。
 したがって、普通の人間にとって、船員は忌避される職業であった。そのため、国家は救貧法
 などをもって、浮浪成人や救貧少年を海軍や商船に送り込んだ。それでもっても、船員を充足
 しうるものではなかった。そこで、海軍においては、船員徴発隊(press gang)を編成して、洋上
 で帰港中の商船から有能な船員を取り上げたり、港で若者や船員を連行するという、船員強
 制徴発(impressment)が公認されていた。そうしたもとにおかれていた商船は、その不足する
 船員を、いろいろな形で補充しなければならなかった。その場合。上海る(shanhai、アメリカ大
 陸の用語)と呼ばれる誘拐的な補充も行われたが、船員徴発をまぬがれる外国人、とりわけ
 植民地制度の発達につれて、その原住民を乗船させることが、もっとも手っ取り早く確実な補
 充方法であった。
  ある海運書は、「海軍が有能な水夫を連れだしてしまうという宿命に出合うため、東インド会
 社は乗組員のなかに、一定のLascarsやGoaneseを加えることになった」とのべている。この海
 軍の強制徴発は、18世紀末までつづけられた。また、たとえば18世紀末の帆船プリンス・オブ・
 カウニッツ号(船籍、ゴア)の乗組員は、イギリス、スコットランド、イタリア、フランス、フランダー
 ス、プロシャ、そしてゴア人という構成であったという【15】。こうした外国人船員の雇用は、イギ
 リスだけでなく、ヨーロッパ先進海運国においても、広く普及していた。
  17世紀から18世紀にいたる帆船に乗組むインド人、中国人、アフリカ人、西インド人は、海軍
 の船員徴発が影響しているとはいえ、ヨーロッパ諸国における資本の本源的蓄積の主要契機
 である植民地制度のもとで生れた、植民地原住民奴隷に匹敵する前期的な便宜船員であっ
 た。その意味において、先進海運資本は、植民地制度によって、奴隷貿易とともに、二重の意
 味で「温室的に育成」【16】されたといえる。また海運資本の本源的蓄積と、そのための労働力
 の創出は、「残虐立法」による自国人の強制乗船、奴隷的な原住民便宜船員の強制乗船、
 港々におけるヨーロッパ人の誘拐的な調達、そしてそれら苛酷な労働と死亡に色どられていた
 といえる。ここに、便宜船員の原型がある。
  1849年の航海条令の廃止は、直接的にはイギリス海運が世界海運の覇権をとったことを意
 味するが、海運における資本主義の成立と産業革命の進行を示す。ここにおいて、便宜船員
 の雇用が無制限となったことは、アジア人船員についてはなお原生的な関係があるとしても、
 便宜船員の本格的な展開となった。そのなかでもヨーロッパ人便宜船員が資本主義的な雇用
 として、イギリス人船員の全面的な競争者としてあらわれた意義は大きい。戦前型便宜船員の
 本格的な雇用のもとで、その主な供給国は北ヨーロッパ、インド亜大陸、中国になっていったと
 される。その数や構成は、表4にみるように、イギリス船に乗組む便宜船員は1903年ごろ頂点
 に達し、乗組員の32%(ヨーロッパ人、アジア人各16%)も占めるまでになっている。それ以前
 は、ヨーロッパ人船員がアジア人船員を上回っていたが、それ以後は後者が前者を上回るよう
 になり、1912年になると前者11%、後者16%、合計27%という構成になる。その後の経過は、
 詳細不明であるが、北ヨーロッパ人はその供給国の海運発達により減少し、それに対してアジ
 ア人船員はむしろ増加したとみられる。
表4 イギリス船の国籍別雇用船員数(1880〜1912)(単位:人)
年度
イギリス
人船員
ヨーロッパ
人船員
東インド
人船員
合計
1880
 1890
 1895
 1903
 1907
 1912
169,692
186,147
180,074
176,520
194,848
208,635
23,280
27,227
32,335
40,396
37,694
30,960

22,734
28,077
41,021
44,604
47,211
-
236,108
240,486
257,937
277,146
286,806
(出所) C.アーネスト・フェイル、佐々木誠治訳『世界海運業史』、日
本海運集会所、1957.5、318ページ。

 こうした戦前型便宜船員は、資本の本源的蓄積期から、資本主義の確立そして帝国主義の
 段階にいたるまで、特にアジア人便宜船員においては途上国から先進国への移動として一貫
 して展開され、労働力の一般的な国際移動とちがった経過をみせている。しかし、それが賃金
 労働力として本格的に雇用されはじめたのが、特に帝国主義段階に入ってからであることは、
 一般的な傾向と一致している。その場合、北ヨーロッパ人便宜船員は、その供給国がちがって
 いるが、あきらかに新移民に類似しうるし、その減少も一致している。また、アジア人便宜船員
 は、その需要国がちがっているが、華僑・印僑の増加と一致している。便宜船員と一般的な傾
 向とのあいだには、いくつかの種差はあるにしても、ヨーロッパ海運にとって、それがアジア人
 であれヨーロッパ人であれ、戦前型便宜戦員をその生成期から現段階にいたるまで、船員労
 働力の不可分な構成要素として、伝統的に雇用しつづけている意味は、きわめて大きい
 【17】。

4 戦後における便宜船員の発達
 戦前においてすでに大量に雇用されていたアジア人便宜船員は、戦時、戦後においても継
 続的に雇用されつづけ、先進国海運の戦後再建とともに、伝統的な需要国であるイギリス、フ
 ランス、オランダばかりでなくて、ヨーロッパの先進国に広範に需要され、またその規模も拡大
 していった。国際運輸労連(ITF)は、1960年7月の第26回大会で「アジア船員委員会」の設置を
 決定し、また同年11月には第2回アジア運輸労働者大会を開催しているが、その海員・港湾都
 会では「極東海運における船員問題」を議題とし、「海運産業界に、実に数十年間存在してい
 た1つの問題が、過去数年間にふたたび前面にあらわれた。それは、極東海域に航海する欧
 州船舶の問題であり……欧州船員は欧州の団体協約が規定するところよりも低い賃金やそ
 の他労働条件のアジア船員と置きかえられつつある」【18】と報告している。
  こうしたアジア航路のヨーロッパ船に需要される便宜船員の増加に並行して、広い範囲での
 ヨーロッパ船に第4類型の流動先進国便宜船員も増加していったと思われる。1960年代にお
 ける伝統的な先進海運国の陸上産業の高成長と「労働力不足」、そこでの船員の陸上転職・
 若者の海上忌避の傾向、ヨーロッパ諸国間および国内地域間の経済格差の増大、そして1958
 年1月のEEC結成にともなう労働力自由移動政策の展開が、それを促進したであろう。この第
 4類型の便宜船員は、ヨーロッパにおける外国人労働者と、その供給国や反発要因において
 一致している。
  戦前型便宜船員は、戦後増加しつづけてきたが。1970年前後を頂点に減少しはじめている。
 それに対して、第2類型の離国籍途上国船員および第5類型の離国籍途上国船員、すなわち
 戦後型便宜船員は戦後一貫して増加しつづけ、1960年代後半において戦前型便宜船員を追
 抜き、いまや便宜船員の完全な主流になっている。この戦後型便宜船員は、戦後において急
 速に発達した便宜置籍船に需要される船員である。それらは、実質的には途上国→先進国、
 あるいは先進国→先進国(擬制的な自国問移動を含む)への労働力移動でありながら、形式
 的には便宜置籍国への移動であることにおいて、資本主義世界海運における「新しい形態」と
 しての労働力移動とみなすことができる。
  労働力の国際移動の一般的歴史と、そこでの便宜船員の位置づけについて、若干の総括を
 行なっておこう。まず、先進国人の国際移動は、アメリカが主要な需要国となって、植民→旧移
 民→新移民として系統的に発達してきた。それに対し、途上国人の国際移動は新大陸への黒
 人奴隷の移出、途上国への華僑・印僑の移住というように、断続的で異質な形態をとって推移
 してきた。しかし、それらに共通していることは。それらの移動が賃金労働力の移動として次第
 に純化し、またそれらの移動量も1930年代の大恐慌期において急速に減少し、第2次世界大
 戦によって決定的に減少したことなどである。そして、戦後においては、移民・移住といった形
 態での大量な労働力の国際移動は終えんした。
  そもそも、ある国の資本が外国人労働力を充用する方法には、第1に外国人を自国に移住さ
 せて雇用するか、第2に資本を外国に輸出して現地人を雇用するかである。これら2つの方法
 は、資本主義の生成以来ともに広く採用されつづけているが、それが労働力の国際移動とな
 ってあらわれたのは、主として前者であった。しかし、戦前の帝国主義段階において、華僑・印
 僑にみられたような、資本の輸出に随伴した労働力の国際移動、すなわち第3の方法もみられ
 た。戦後においては、第1、第3の方法による労働力の国際移動はかなり大幅に減少していっ
 た。それに対して、戦後の帝国主義は、その資本蓄積の大きな基盤を資本の輸出におき、現
 地人を直接的に雇用する第2の方法を、全面的に採用することになっている。
  そのなかで、途上国への資本輸出も増加しているが、第3の方法を採用できないのは、政治
 的に独立した途上国に、他の途上国人を移住させることが困難になったからである。それとは
 ちがって、先進国に途上国人を大規模に持続的に移住させることもまた、自国の「完全雇用政
 策」の建前や労働運動の対応から、基本的には困難となっているからである。このような途上
 国人の国際移動が少なくなっているなかにあって【19】、戦後における労働力の国際移動は、
 主として1960年代以降のヨーロッパにおける外国人労働者の流入として展開されている。それ
 ら外国人労働者は、その供給国や反発要因において、戦前の新移民とほば一致している。ま
 たその吸引要因が、アメリカの資本輸出に随伴している点で、その段階的な性格はことなって
 はいるが、華僑・印僑にみた側面をもっている。しかし、その移動は一時的で出稼ぎ的な移動
 であって、戦前型の移民・移住ではけっしてない。それは、帝国主義段階における賃金労働力
 の国際移動として純化し、もっとも発達した形態といえる移動となっている。その点からいえ
 ば、華僑・印僑は外国人労働者の前史をなしていたといえる。
  現代ヨーロッパにおける出稼ぎ外国人労働者は、アメリカの多国籍企業のヨーロッパヘの大
 規模な進出、それをテコとした技術革新と「高度成長」が労働力需要を換起し、国別・産業別・
 地域別な経済格差の拡大やEECの労働力自由移動政策が労働力移動を促進し、しかも地理
 的な便宜を利用することで形成された労働力の国際移動である。それが、アメリカを中心とし
 た大規模な資本の輸出と、それによって強められた資本主義の不均等な発展が、国際レベル
 で相対的過剰人口を創出させ、それから特定の労働力を吸引することで形成させられたという
 意味で、戦後段階における特徴的な労働力の国際移動といえる。これら移動労働力の需要者
 は、直接的にはヨーロッパ資本ではあるが、その背後にはアメリカ資本がその共同搾取者とし
 てひかえている。ここにおいても、戦前と同様に移動労働者のまえには、アメリカ資本が立ちあ
 らわれている。
  このように、労働力の国際移動は、資本主義の発展段階にそくして、いろいろな形態をとって
 発達してきたが、戦後段階においては主として先進国間における資本の輸出と、労働力の国
 際移動とが結合した、出稼ぎ外国人労働者に集約されつつある(今後、途上国から先進国・途
 上国への移動も増大するかも知れないが、一時的な出稼ぎ型に終るであろう)。そのなかにあ
 って、まず、戦前型アジア人便宜船員が、すでに基本的に消滅した途上国から先進国への移
 動として維持されていることは、特殊的と位置づけられる。また、戦後型便宜船員は、その移
 動が途上国あるいは先進国から途上国である便宜置籍国への移動であること、そしてその多
 くが途上国人であることにおいて、外国人労働者に対して特殊的と位置づけられる。いわば、
 第3の方法の変型である。しかし、表2にみるように、戦後型便宜船員の実質的な需要国は主
 として先進国であり、その移動が資本の輸出に随伴した移動であることにおいて、外国人労働
 者に類似しているといえる。その場合であっても、そのなかに多くの途上国人が含まれている
 ことは、特殊的と位置づけられる。

5 便宜船員の若干の特徴
 こうした歴史的考察の結果、便宜船員の労働力の国際移動としての位置づけがあきらかに
 なったが、そのうえにたって便宜船員の特徴を一般的な傾向との比較のなかで、若干、整理す
 ることとする。
  第1に、戦前における一般的移動は「今日の賃金労働者は、明日は独立自営の農民か手工
 業者になってしまう」【20】ような移動であって、賃金労働力の移動として純化していなかった。こ
 の傾向は、もちろん旧移民において顕著であったが、新移民、華僑・印僑にみられたように、
 けっして少なくなかった。それに対して、便宜船員の場合は、その生成以来、そのほとんどが
 賃金労働力としての移動であって、自営業者への上向の道はそのはじめから閉されていた。
 戦後における主要な労働力の国際移動となった出稼ぎ外国人労働者は、小資産者としての上
 向の道をたたれた、単なる賃金労働力の移動となっている。一般的移動は、長い歴史をへて
 賃金労働力の移動として純化した。その点で、便宜船員は先取り的であった。その結果、便宜
 船員と外国人労働者は「祖国を棄させ」てもらえず、雇用の不安定性が強い点において、移動
 形態は収斂をとげている。それらの収斂の結節点は、戦後におけるアメリカの多国籍企業の
 世界進出と、それにともなう「生産と資本の世界的集積」である。
  第2に、便宜船員も一般的移動も、それが国境を超えるかぎりにおいて、外国に労働と「生
 活」の場を移動せざるをえない。戦前における一般的移動=海外移民(住)は、外国を長期的
 なあるいは恒久的な定住地とし、そこに家族生活単位を設営し、いずれ外国の国籍や市民権
 を獲得していくことを目指していたし、そうなっていった。それに対して、便宜船員は外国船を労
 働と「生活」の場としているが、それを定住地として家族を移動させるわけではないし、またそ
 のことによって国籍や市民権が獲得しうるわけでもない。このように、労働力の国際移動といっ
 ても、海外移民の定住性と便宜船員の非定住性とのあいだには、大きな種差がみられる。戦
 後のヨーロッパにおける外国人労働者は、その一部において家族同伴もみられるが、戦前の
 ような海外移民ではなく、比較的に長期にわたって居住するとしても、便宜船員と同様に本来
 非定住であり、国籍や市民権を獲得しうるわけではない。こうしたいわば市民権排除状況につ
 いても、戦後における一般的移動は便宜船員に収斂しつつある。
  第3に、戦後、一般的移動が便宜船員の性格を持つようになったが・他方便宜船員は戦前型
 から戦後型に発展をとげている。戦前型便宜船員の場合、それを雇用する海運企業と、それ
 が設立されている国とのあいだには、真正な関係(genuine link)がある。それに対して、戦後型
 便宜船員の場合、それが乗組む便宜置籍船の船籍国と、その実質的な需要企業や需要国と
 のあいだには真正な関係がない。一般的移動や戦前型便宜船員の場合、それらがおかれて
 いる社会的地位について、需要国としての責任を回避できないが、便宜置籍国はその形式は
 ともかく実質において回避しうる。このように、戦後型便宜船員はいずれ詳しく分析することに
 しているが、労働者の権利がいちじるしく侵害され、その侵害に対する反抗や救済を回避しう
 るシステムのもとで雇用されていることにおいて、現代の資本の輸出の世界的な規模のもとで
 形成された労働力の国際移動の頂点を、そのより腐朽的な形態において形づくっているといえ
 る。
  第4に、現在、ヨーロッパの外国人労働者の主な供給国は地中海諸国であり、その他若干が
 アフリカ諸国であり、またその主な需要国は西ドイツ、イギリス、フランスである。それに対し
 て、便宜船員の場合、その需要国、供給国は、表2表3にみるように、世界にまたがってお
 り、一般的移動にくらべ広範に普及している。しかし、イギリス、オランダは主として旧植民地諸
 国から戦前型便宜船員をより多く需要し、またアメリカ、ギリシャ、日本、西ドイツは世界、その
 なかでも東アジアから主として戦後型便宜船員を需要している。その差異は、それぞれの海運
 国の歴史と便宜置籍船化の程度に対応している。しかし、その差異を超えて、世界の海運企
 業は生産手段の国際移動という特性から、一般的移動にくらべ地理的な制約をはなれて、労
 働力の国際移動を享受している。
  第5に、現在、ヨーロッパの外国人労働者は家族を含め1、000万人以上にもなり、それが需
 要国の労働力人口に占める比率は国によって格差があるが、全体的には10〜15%となってい
 る。それに対し、便宜船員が需要船員数に占める比率(推定)は、表2からえられるように、オ
 ランダ58%、アメリカ57%、ギリシャ53%、西ドイツ43%、日本34%であり、全体的には40%と
 いうように、きわめて高率となっている。もちろん、たとえば西ドイツの自動車工業で40〜50%
 という高率もあるが、世界の海運企業が便宜船員をいかに大量に雇用し、そのために世界的
 な規模ではげしい移動が行なわれていることは、否定しようもない。
  第6に、現在、ヨーロッパの外国人労働者は主として青年・壮年の不熟練・半熟練労働者であ
 り、本国人の忌避する労働に従事している。それらの滞在期間は長くなりつつあるが、4〜5年
 となっている。そうした傾向が、便宜船員において認められないわけではないが、戦前型便宜
 船員が400年にわたって再生産され、また特に戦後型便宜船員にみられるように、若年層から
 高年層、新入船員から船長まで、しかもあらゆる職種にわたって雇用され、さらに船員を生涯
 職業とすることで雇用されている。すなわち、便宜船員は、外国人労働者にみるように補完的
 な特定階層としてではなく、一つのまとまりのある職業集団として雇用されている。
  第7に、この特徴はいままでの分析から直ちにえられるものではないが、外国人労働者が非
 定住であっても、その需要国における労働力の種別にしたがった賃金水準でもって、おおむね
 雇用されている。それに対して、特に途上国出身の便宜船員の賃金水準は、けっして需要国
 の賃金水準やITFが設定した国際統一賃金水準ではなく、その供給国の賃金水準である場合
 が多い。多くの途上国出身の便宜船員においては、あきらかな賃金差別が形成されており、
 外国人労働者にくらべてはげしく搾取されている。ここに、便宜船員の決定的な問題性があ
 る。
  このように、便宜船員は一般的な労働力の国際移動とはちがって、世界的な規模における
 賃金労働力の非定住的な国際移動として発達し、現代の「生産と資本の世界的集積の新しい
 段階」における労働力の国際移動の頂点あるいは典型をなし、そうしたもとでの国際的な労働
 力配置における一っの完成した賃労働様式となっている。そして、便宜船員の雇用は、海運産
 業における資本の輸出と生産手段の所在と船員の雇用とを、陸上産業とはちがって分離・分
 割させうるという、特殊的な便宜によって強固に支持されている。ここに、海運資本の船員雇
 用=搾取の国際性の本質であるといいうる。

6 おわりに
 いままで行なってきた便宜船員の歴史的考察は、けっして十分なものではない。ただ、労働
 力の国際移動における便宜船員の特殊な位置づけが読みとられれば、満足である。今後、先
 進海運国の本源的蓄積期における船員労働力の創出、その過程における外国人船員の補充
 について、よりいっそう詳細な分析を心掛けたい。また、焦眉の課題である現代における便宜
 船員の調達・雇用、労働条件、それらが世界の海運や船員に及ぼす影響、世界の海員組合
 の対応、そして便宜船員の規制とその廃絶について関心を払っていきたい。

 【1】 拙稿「便宜置籍船とその分析」『交通学研究・1978研究年報』、1978.11。
 【2】 拙稿「便宜船員の類型と量的検討」『海事産業研究所報』156、1979.6。
 【3】 森 広正氏「資本主義と移民労働者問題」『研究年報』(法政大学短期大学部)11、1977.2、
 4-5ページ。
 【4】 游 仲勲「資本主義諸国における労働力の国際移動」『熊本商大論集』30、1970.3、61ペー
 ジ。
 【5】【6】 カール・マルクス『資本論』、全集第23巻b、大月書店、980ページ。
 【7】【8】 森「前掲論文」20-21ページ。
 【9】 游「前掲論文」79ページ。
 【10】 游「同上」80ページ。
 【11】 游「同上」81ページ。
 【12】 森「前掲論文」4、43、77、78ページ。
 【13】 Gt. Brit. Department of Trade:Report of the Working Group on the Employment on non
-domiciled Seafarers、 H.M.S.O.、1978.1、p.6
 【14】 C.Lloyd:Ship and Seamen、Cleveland、1961、p.130。
 【15】 C.Jones:British Merchant Shipping、London、1922、p.19。
 【16】 マルクス『前掲書』、983ページ。
 【17】 アメリカ海運も、別表にみるように、大量に外国人船員を雇用していた。ここでは論旨を
 簡明にするため、その分析は割愛した。
別表 アメリカの普通船員の国籍別雇人数(単位:人)
アメリカ人
外国人
合計
自国出生
来住
1894
1900
22,143
32,333
49,094
57,992
71,237
90,325
1905
1910
1915
1920
1925
1930
1935
1938
 37,098
59,810
65,000
137,016
  95,031
143,189
155,712
141,609
22,511
31,736
29,000
31,777
28,071
37,922
48,511
48,619
 61,026
 94,175
122,092
165,347
119,903
107,385
 48,910
 20,835
120,635
185,721
216,092
333,140
243,005
288,496
253,133
211,063
(出所) R.W.Wissman:The Maritime Industry, Coopell Maritime
Press, N.Y., 1942。

【18】 神沢 竜「国際運輸労連第2回アジア大会報告」『海員』13(1)、1961.1、55-56ページ。
 【19】 アメリカにおける中南米人、イギリスにおけるアフリカ人、アラブにおけるアジア人など無
 視できないものもあるが、さしあってはそうである。
 【20】 マルクス『前掲書』、1003ページ。

初出書誌:同題名、海運経済研究14 1980年11月

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