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船員労働の特殊性
Peculiarity of Seafarers Labor

篠 原 陽 一

目次
 はじめに―問題の意味
 1 船員労働の一般的な特殊性
 2 船員労働の具体的な特殊性
 あとがき―問題の処理

はじめに―問題の意味
 船員労働あるいは海上労働の特殊性は、船員とその関係者にとって自己の立場を説明する
 根拠であったし、また船員労働の研究者にとってはその研究に独自性のあることを表明する
 概念であった。それだけに、それをめぐって様々な意見が出され、論争が行なわれてきた。
  その大きな流れとしては、船員労働の特殊性は、かなり長い間、船員が置かれている現状を
 やむを得ないものとして説明する根拠となっていたが、次第に船員の置かれている現状を望ま
 しいものとみず、それを改善すべき課題として取り上げられるようになったことである。
  船員の労働条件は、1972(昭和47)年の人間性回復の長期ストライキを経て、ようやく世間並
 みの水準にほぼたどりついた。こうしたなかで、船員労働の特殊性に対する関心はおのずと
 薄れ、さらに船員労働の特殊性はいまや解消しつつあるとか、それを根拠として行なわれてい
 る諸制度を見直すべきだといった意見さえ、聞かれるまでになった。こうした状況からすれば、
 船員労働の特殊性をいまさらながらに概説することは無用のように見えるが、果たしてそうで
 あろうか。
  そうでないことは、船員がいまなおその社会的地位について不満を持っている現状、海難や
 災害・疾病が依然として高い水準にあるという実態、海運企業の海外進出や脱海員組合という
 経営のもとで船員の無権利状態が拡大している事態、日本人船員の雇用や労働条件への国
 際的な影響が強まっている状況、さらには船員制度の近代化が理論的な検証を加えられない
 まま進展している経過をみても、明らかである。

1 船員労働の一般的な特殊性
(1) 船員労働の特殊性の接近方法
  いままで出されてきた船員労働の特殊性論をみると、きわめて様々な内容を含んでおり、そ
 れをめぐる議論もすれ違いをみせてきたかにみえる。なぜ、そうなるかは、一口に船員労働と
 いっても労働力の消費とそれが繰り返されるための労働力の再生産という、きわめて広範な
 領域があるからである。したがって、それをめぐっていわば百花繚乱となるのはある程度避け
 がたいし、またそれぞれ出された見解を直ちに無意味とするわけにもいかない。それを主張す
 る社会的・思想的な立場によって、どう分析するかは異なってこざるを得ないとしても、その違
 いを超えて誰彼もが認めあえる体系はないものであろうか。
  現実の船員労働は、たとえば現在であれば資本主義経済という歴史段階において、その社
 会経済的な性格を身につけた特殊歴史的な産業労働の1つであり、それ以外の何ものでもな
 い。しかし、船員労働は有史以釆、現在そして無人化船が完全に普及するまで、営々として続
 けられる超歴史的な産業労働の1つでもある。そこで、まず特定の時代の社会経済的な性格
 をはぎとって、それぞれの時代を超えて共通する船員労働の特殊性を分析し、ついでそれが
 ある特定の時代の社会経済的な性格に規定されて、どのような特殊牲となって立ち表われる
 かを分析し、そして特定産業において労働力の消費とその再生産が社会経済的な性格に規
 定されて、他の労働とは違ったどのような特殊性があるかを総括するという、手順を取れは良
 いであろう。なお、河川・湖沼船は取り扱わない。
(2) 船員労働の本源的な特殊性
  船員労働を陸上労働との対比で、どのような特殊性があるといえるか。それは、それらを産
 業労働として区別する生産技術の相違から、説明するしかない本源的な特殊性である。なお、
 船員労働は交通労働として、工場労働が生産する有形財とは違って、旅客や貨物の場所移動
 という、在庫しえない無形財で、かつ労働とともに生産され、消費される即時財という交通(海
 運)用役を生産するという特殊性がある。
  1) 交通路・労働環境としての危険な海洋
  海運用役を生産するための労働手段は、船舶といった直接的な交通手段のほかに、交通路
 と呼ばれる航路、港湾といった間接約手段や海洋といった一般的手段で構成される。船員労
 働が陸上労働と決定的に異なる特殊性は、海洋を交通路・労働環境としていることにある。す
 なわち、船員は一般の労働者のように土地に固着した工場ではなく、様々な恐怖をはらむ海
 洋とそれに浮かんで移動する船舶を労働環境としているという特殊性がある。しかも、海洋に
 ある船舶は、陸上から物的・人的な援助がきわめて困難な、孤立した労働環境でもある。そう
 した労働環境が生活環境でもある。この特殊性が船員とその労働に与える影響は、船舶技術
 の発達によってかなり縮小するが、決して解消されることはない。
  2) 船員労働の自己完結性
  一般の工場においては、それが必要とする人やものを出し入れすることに、技術的な制約は
 ほとんどないが、船舶にあってはそれがある港から目的の港まで着くまでは、陸上から人やも
 のの援助を受けることはできない。したがって、船舶はその与えられたあるいは限られた乗組
 員と船内設備とでもって、運航されざるをえない。すなわち、船員は船舶を自立的な生産単位
 として、その労働を自己完結的に行なわざるをえない。この特殊性は、船舶技術の発達や陸
 上からの情報提供、港湾における労務提供などによって、船員が現実に行なう労働としては量
 的には縮小して行く。しかし、そうした現象にもかかわらず、船舶が目的の港まで着くまでは、
 その限られた乗組員でもって何はともあれ運航せざるをえないので、その本質において船員
 労働の自己完結牲は無人化船になるまでは貫徹され、決して解消されることはない。
  3) 船員の長期職場拘束=離家庭・離社会性
  一般の労働者にとって、工場は労働の場であっても、決して生活の場ではなく、また日々の
 労働が終われば工場から離れ、家庭に戻る。それに対して、船員は他の交通労働者と同様、
 直接的手段である船舶とともに移動(乗務)するが、その交通路が海洋であるため、かなり長
 期の移動(乗船あるいは乗り組み)となる。その結果、船舶は長期にわたって家庭や社会から
 切り離された船員の労働の場であるとともに「生活」の場となる。すなわち、船員労働さらには
 交通用役の生産は、船員を長期にわたって労働以外の時間をも職場に拘束し、船員を長期に
 わたって家庭や社会から切り離すことでもって、はじめて成り立つ。この船員の長期職場拘束
 =離家庭・離社会性という特殊牲は、船員がその長短にかかわらず乗船労働する限り、さらに
 船舶が無人化船となるまでは、決して解消しない。
(3) 船員労働の個別的な特殊性
  こうした「長期にわたって家庭や社会から切り離された船員が、危険な海洋において船舶を
 自己完結的に運航するという」船員労働の本源的な特殊性は、船員労働の諸側面に多様に
 反映して、それぞれに個別的な特殊性となる。
  1) 多種多様な作業とその多岐多様な発生
  船員労働の技術的な形態は、船舶技術という生産技術に規定されるので、そのすべてにわ
 たって特殊性があるといえる。それについては、すでに拙著(参考文献、参照)において全面的
 にまた前節において概説されているが、およそ次の通りである。いまみたように、船舶は危険
 な海洋において孤立して航海しているため、船員は自己完結的に労働しなければならない。そ
 れは、他の交通労働とは違って、個別乗組員が多種多様な作業を行ないながら、乗組員集団
 としてもまとまりのある生産機能とその維持機能を遂行することでもある。その多種多様な作
 業は、日常的な作業から非日常的な作業、そして突発的な作業、潜在的な作業にまたがり、し
 かも船舶の動静や航路、積み荷、天候などによって断続かつ不均等、不定型に発生する。そ
 れにあたっての労働組織は、随時的な個別作業組織となる。
  2) 広範多岐にわたる知識・技能
  船員は、多種多様な作業で構成される労働を自己完結的に行なうためには、個別乗組員さ
 らには乗組員集団としても、広範多岐にわたる知識・技能を労働能力として保持しなければな
 らない。それは、ただ単に日常的な作業のみならず、非日常的 突発的、潜在的な作業を行な
 いうる知識・技能にまたがる。船員は、そうした労働能力をストック(保持)しなければならない
 が、そのうち通常の日々においてフロー(支出)されるのは、日常的な作業と非日常的な作業
 の一部に必要な能力であって、そのあいだにギャップが生じることは避けられない。そうした労
 働能力の多くは、船員が長期にわたる海上経験によって獲得するか、特殊な養成訓練を行な
 って習得させるしかない。ある時代の船舶の技術水準はほぼ同一であるので、船員の労働能
 力のストックに相違があっても、日常的なフローとしては国内的にも国際的にも共通性がある。
 しかし、それがあまりにも特殊船員的であるため、陸上の労働能力との互換性はかなり乏し
 い。
  3) 夜間労働と変則労働の常態性
  一般の工場においては、日中、稼動し、夜間は休止するのが、常態である。それに対し、海
 運用役の生産は他の交通部門と同様、ただ単に人やものをある地点から他の地点まで移動
 させるだけではなく、それを出来る限り短時間で移動させることではじめて生産されたとされ
 る。しかし、船舶は危険でかつ陸上から援助を受けられない海洋を交通路としているので、海
 運用役の生産が中断することはぜひとも避けなければならず、しかもその移動距離がかなり
 長いので、それを長期にわたって維持しなければならない。そこで、陸上労働者であれば昼間
 労働が常態であるが、船員にあたっては交代制によるとしても、夜間労働が常態となる。こうし
 た昼夜連続操業に加えて、すでにみたように非日常的、突発的な作業が発生するが、それを
 も自己完結的に消化しなければならない。それは変則労働として行なわれる。こうした常態的
 な夜間労働や変則労働は、船員の労働力を激しく消耗させることとなる。
  4) 労働力再生産の不完全性
  一般に、労働力は一定の地域社会を構成する家庭を単位として、再生産される。それに対し
 て、船員はその職場が船舶であり、それが海洋を移動するので、長期間、家庭や社会から切
 り離される。その結果、船員自身の文化的で社会的な生活は大幅に制約され、また家族との
 性交渉や情緒、教育関係は断絶させられる。すなわち、船員家庭は「欠落家庭」となり、船員と
 その家族の労働力再生産はきわめて不完全となる。その船内生活は文化や社会から切り離
 され、しかもそのあり方が海運用役の生産活動によって左右され、対人的にも場所的にも解
 放されることがない。その最初から不完全な労働力再生産は、さらに歪曲される。これらは従
 来から「人間性阻害現象」と呼ばれてきた。それは、船員の乗船期間の短縮=下船期間の増
 加や船員福祉施設の改善によってある程度緩和されるが、船員とその家族がいる限り、決し
 て解消されることはない。
   5) 労働力再生産性費用の高額性
  船員の労働能力は、広範多岐にわたる知識・技能で構成されているので、それを獲得しかつ
 維持するためには、また労働力の消耗が激しいので、それを回復しかつ維持するためには、
 一般の労働者に比べ長い時間と多額の費用を必要とする。そして、船員が乗船することによっ
 て、船内生活と家庭生活という二重の消費を余儀なくされるので、一般の生活者に比べ余分な
 費用が必要となる。また、乗船中の労働力再生産の不完全性は停泊中や下船中に、一挙的
 に回復されざるをえないので、さらに一般の生活者よりも余分な費用が必要となる。要するに、
 船員とその家族の労働力再生産の不完全性が出来る限り緩和し、より円満なそれを近付ける
 ために、より多くの日数(休息や休日、休暇)と高額の費用が必要となる。

2 船員労働の具体的な特殊性
(1) 資本・賃労働関係という性格
  すでに述べたように、現実の船員労働は資本主義経済のもとでのそれであり、その社会経
 済的な性格は一般の労働と同様、資本・賃労働関係という性格を持っている。すなわち、資本
 はある財貨や用役を生産するために生産手段を所有し、労働者を雇用するが、それは資本の
 増殖あるいは利潤の獲得という目的のための手段となっている。その場合、労働者に支払う
 賃金や福祉費が少なければ少ないほど、また一定の費用で労働者に長時間、高密度の労働
 をさせればさせるほど、そして生産手段の建設や修理、使用に要する費用が少なければ少な
 いほど、資本の獲得する利潤は増大する。それに対して、労働者はその支払われる賃金が多
 ければ多いほど生活は豊かになるし、また短時間で軽度の労働であればあるほど疲労は少な
 く、余暇を楽しむことが出来る。すなわち、資本家と労働者とのあいだには、賃金、労働時間、
 労働強度、工場設備、労働環境などについて、一方の利益は他方の不利益となるという、ぬき
 さしがたい対立関係がある。
  しかし、資本家が利潤を獲得して行くためには、それが不本意であるとしても、自らに対立す
 る労働者を雇用し、それにその所有物である生産手段を使用させざるをえない。それは、資本
 にとっては大きな矛盾であり、かつ絶えざる不安の種となる。そこで、資本家は労働者を指揮・
 監督することが、使命となる。それは、労働者を最大限、労働させ、賃金を切り下げ、そしてそ
 れに伴う労働者の反発を抑えることにある。したがって、抑圧的で、専制的なものとなる。それ
 にあたって、資本家は自らの代理人として監督者や管理者を配置したり、広い意味での労働
 条件を定めた就業規則を制定したり、さらには法律や警察など国家の権力を利用したりする。
 しかし、労働者は労働組合を組織して、資本の搾取や抑圧、それへの国家の協力に対抗する
 ようになる。労働組合は、その職場における労働者が賃金・労働条件について個別資本と交
 渉して、その改善をはかり、さらに国家権力に働きかけて労働保護法を制定させ、最低基準を
 社会全体の資本に強制させるようになる。
(2) 海運資本にとっての特殊性
  現実の労働は、こうした資本・賃労働関係という対立関係を前提として、その当事者の一時
 的な妥協や、国家を媒介とした社会的な規制のもとで行なわれる。いままで述べてきた船員労
 働の一般的な特殊牲は、この社会経済的な性格に規定されて、具体的な特殊性となる。その
 場合、それは当然、海運資本(家)にとっての、また船員にとっての特殊性となる。
  1) 船員に対する指揮・監督の困難性
  海運資本は、一般の資本と同様、自らに対立する船員を搾取して行くには、それを指揮・監
 督することが絶対的な条件となる。海運資本家が、他の資本家と同様、多数の船舶や船員を
 使用しているので、船舶に乗船することはほとんどできない。したがって、それら船舶に現場監
 督者を配置して、船員を間接的に指揮・監督するほかはない。その場合、他の資本家と違っ
 て、船舶が海洋を長期にわたって航海するため、その間、海運資本家がそれら船舶を直接、
 視察して、報告を受け、そして指示することは不可能である。それでも、それを無線通信を通じ
 て、また停泊中においては直接に行ないうる。しかし、全体としては、大変、制約されたものと
 なる。すなわち、海運資本家は海洋を交通路としているため、他の資本家と違って、その絶対
 的な使命である船員の指揮・監督に困難を伴わざるをえない。
  2) 生産・作業管理の困難性
  船舶が機械化(今日では自動化)されているとはいえ、船員労働は多種多様で多岐多様に
 発生する作業で構成され、しかもそれらが自己完結的に行なわれる労働である。そのため、
 船員の作業方法や作業時間、作業組織などについて標準化を行なうことはきわめて困難であ
 る。それらは、船員の個人的な自覚と集団的な規制に依存することでもって、はじめて欠落な
 く、しかも遅滞なく行なわれうるという性格がある。そうした状況に加えて、いまみたように海運
 資本はその指揮・監督に困難さがあり、また次にみるように船員との紛争に対抗する手段が
 制約されているので、他の資本家以上に、その生産・作業管理に困難が伴わざるをえない。
  3) 紛争対抗手段の制約性
  海運資本も、他の資本と同様、自らは対立する船員に船舶を委ね、海運用役を生産せざる
 をえない。しかし、その船舶が海洋を航海するので、その間に船舶そして旅客や貨物に事故が
 生じても、陸上から直ちに物的・人的な援助を行ないえないのと同様、船員が広い意味での労
 働条件に不満を持ち、サボタージュやストライキを行なう場合、海運資本はスト破りを送り込む
 とか、警官などを導入するといったことは不可能である。また、停泊中、船員が在船のままスト
 ライキに入られると、ロックアウトを掛けることもできないし、警官などを導入しえないわけでは
 ないが、それは紛争を拡大するだけである。海運資本が、船員を船舶に乗船させ、海洋を航
 海させることで、即時財・無形財である海運用役を生産する限りは、船員との紛争に対抗する
 手段は制約されざるをえない。
  4) 船員依存による費用の節約
  船舶が航海に出ると、その限られた乗組員と船内設備でもって運航されざるをえない。その
 ことは、海運資本が船員に、その限られた条件でもって、労働し、生活することを要求している
 といえる。船舶が危険な状況に遭遇した場合、乗組員はあらゆる努力をして、それを回避せざ
 るをえない。また、乗組員に欠員が生じたとしても、その残された員数で運航せざるをえない。
 同様に、船内設備に故障が発生すれば、船員はそれを修理して運航せざるをえない。すなわ
 ち、船員は自らの生命と生活を維持して行くためには、その与えられた条件のもとで、自己完
 結的に労働せざるをえない。逆にいえば、海運資本は一般の資本と違って、生産条件の変化
 に伴う余分な費用を支出せずに、船舶や旅客・貨物の安全を確保し、海運用役を生産するこ
 とができる。海運資本は、船員の自己完結的な労働に依存し、それと代替することにおいて、
 様々な費用を節約することが出来る。
  5) 船員労働の随時的な取得性
  個別乗組員や乗組員集団の作業量は、船舶の動静や航路、積み荷、天候などによって、日
 間、週間にわたって、大きく変動する。それにもかかわらず、乗組員数は一定であるので、航
 海中は全面的に、停泊中はかなりの部分、その変動する作業量を消化せざるをえない。さら
 に、海運用役は旅客や貨物を損傷することなく、可及的に迅速に生産される必要がある。した
 がって、船員の作業は昼夜を分かたず、しかもその発生に即時的に行なわれざるをえない。
 そうしたことから、船員労働は夜間労働や変則労働が常態的であるだけではなく、無定量包括
 労働となって行く。海運資本は一般の資本と違って、船員を長期にわたって船内に拘束してい
 るので、その作業の発生に応じて船員を随時的に労働させること、すなわち船員労働を随時
 的に取得することができる。
  6) 船員調達の困難性と容易性
  海運用役は船舶を1つの生産単位として生産されており、そのために必要な船員の労働能
 力は、乗組員集団として自己完結的に労働しうるそれとして確保されていなければならない。し
 たがって、海運資本は、他の資本のように単に頭数が揃えば良いとか、外注に出せば足りると
 いうわけにはいかず、ワンセットの船員を雇用しかつ乗船させなければ、海運用役の生産を始
 めることさえできない。海運資本は、そうした船員の調達にあたり、また調達した船員を必要な
 期間、船内に拘束しておくことについて、他の資本以上に努力せざるをえない。しかし、船員の
 労働能力は国内的にも国際的にも共通性があるので、その供給が緩和されていれば、代替
 船員は容易に調達しうる。
  7) 労使関係管理への高い依存性
  いままで述べてきた船員労働の特殊性のうち、船員に対する指揮・監督の困難性や生産・作
 業管理の困難性、紛争対抗手段の制約性、船員調達の困難性は、海運資本にとっては不利
 な特殊性である。逆に、船員依存による費用の節約や船員労働の随時的な取得性、船員調
 達の容易性は、有利な特殊牲である。しかし、有利な特殊性も不利な特殊性がある限り、ただ
 潜在的に有利であるにすぎない。その不利な側面を可及的に克服し、それと同時にその有利
 な側面を顕在化させなくては、海運資本はその利潤獲得に万全を期しえない。そこで、海運資
 本は他の資本以上に、船員を職階・職種別に分裂させ、現場監督者に大きな権限を与え、さ
 らに国家権力の援助をえて船員を掌握し、労働組合が結成されれば、それとの協調に努める
 などといった、いわば労使関係管理に優れて依存せざるをえない。
(3) 船員にとっての特殊性
  1) 労働力の激しい消耗性
  海運資本は賃金など費用を一定にして、船員を長時間、労働させればさせるほど、より多く
 の利潤を獲得できる。船員は、船舶に長期かつ四六時中拘束され、さらに船内で発生する作
 業を即時的に処理せざるをえない。そうした状況のもとで、船員は海運資本の指揮・監督にし
 たがって労働させられる。また、たとえ日常的な作業を1日8時間労働で行ないうる乗組員数が
 乗船したとしても、それを上回る長時間の労働は避けられない。いま労働時間や休息、休日さ
 らには乗組員数について規制がないと、労働力をたとえば8時間というように時間ぎめで販売し
 ていたとしても、終日拘束されていることで無定量包括労働となる。その上で、それら労働には
 夜間労働・変則労働が含まれる。すなわち、船員は海運資本によって随時的に労働を搾取さ
 れるという条件のもとに置かれているので、陸上労働者にくらべ、その労働力の消耗は激しい
 ものとなる。
  2) 労働力再生産の不完全性の強化
  船員とその家族が、そうである限り、それらの労働力の再生産はそもそも不完全である。そ
 れを緩和し、かつ円満なそれに近付けるためには、船員の乗船期間を短縮し、下船機会や下
 船日数を多くすることが、不可欠である。また、船員の労働能力の維持や二重生活、労働力
 再生産の不完全、そしていまみた労働力の消耗の激しさなどから、それでなくても高額な労働
 力再生産費用をさらに高額にする。それにもかかわらず、海運資本はその利潤を増大させよ
 うと、なるべく賃金を引き下げ、下船日数を少なくしようとするので、それらについて規制が加え
 られないで、一定水準以下となると、船員とその家族の労働力再生産はさらに不完全となる。
 それが著しくなると、船員の労働力は破壊され、家庭生活は破綻する。それらを避けようとす
 れば、船員を廃業するしかなくなる。
  3) 海難、労働災害・疾病の多発性
  船舶は、労働環境であるだけでなく生活環境でもあり、しかも危険な海洋を航海する。したが
 って、船舶が安全に航海し、船員が安全に労働することができる設備や、船員がそれなりに快
 適で、文化的な「生活」を過ごせる施設が不可欠である。それが船員の生活手段となったとし
 ても、海運資本は船員を船舶に拘束していることでしか、海運用役を生産しえないので、それ
 を一種の生産手段として整備せざるをえない。それにもかかわらず、海運資本は海運用役の
 生産に必要最小限の設備を整備するにとどめ、それ以外はできる限り節約しようとする。その
 ため、海難、労働災害・疾病は多発し、また船内生活は無味となる。その結果、船員は海運資
 本に、単に労働力を切り売りしているにすぎないにもかかわらず、陸上労働者以上に、生命や
 心身を破壊され、損傷されるという状況に置かれることになる。
  4) 雇用の断続・不安定性
  船員は、海運資本に雇用され、そして特定の船舶に乗船して労働することで、賃金が支払わ
 れ、生活が維持される。しかし、船員は一定期間乗船すると、労働力の再生産のため、一定
 期間下船せざるをえなくなる。船員が、特定の企業に継続雇用されている場合はともかく、通
 常は属船雇用となっているので、下船すると直ちに失職の状態となり、再び就業するためには
 おおむね他の船舶や企業に改めて雇用されざるをえない。さらに、そのとき、その船員にとっ
 て適当な乗船先があればともかく、それがなく次第に生活が困窮してくると、雇用条件が低くて
 も、乗船せざるをえなくなる。すなわち、陸上労働者にくらべて、船員と海運資本との雇用関係
 は相対的・流動的であって、船員の雇用は断続的で不安定なものとなる。

あとがき―問題の処理
 このように、船員労働の一般的な特殊性は資本・賃労働関係という性格に規定されて、具体
 的な特殊性としては、海運資本にあたってはその船員の搾取=利潤の獲得を一面では困難
 にさせ、他面では促進させる条件として、同時に船員にあたっては労働力再生産の不完全性
 にとどまらず、無権利労働あるいは非人間的労働となる要因として立ち表れる。
  船員労働の特殊性論は、主として船員法、それも第2章船長の職務及び権限、第3草(船員
 の)規律をどのように根拠づけるかあるいは解釈するか、また船員法にどのような労働保護の
 内容を盛り込むべきかをめぐって論じられてきた。いままで、船舶共同体論、市民社会論、そ
 して労働力委託論があるかにみえるが、船員が船舶において労働しかつ生活していることの
 意味をどうとらえるかが、一つの論点になっている。
  われわれの行論からすれば、長期にわたって家庭や社会から切り離されて、危険な海洋を
 航海する船舶において、船員は海運資本に搾取・抑圧されているため、その労働力の消耗が
 激しくなり、かつその再生産の不完全性が強化されうるような状態のもとに置かれている。すな
 わち、「船員の長期職場拘束=離家庭・離社会性にともなう労働力再生産の不完全性が、海
 運資本の搾取・抑圧とその特殊な促進性によって激化される」。この意味から、労働力再生産
 不完全論と呼ばれても良い。
  したがって、労働保護法としての船員法は、海運資本の搾取・抑圧の促進条件を厳しく制限
 し、船員の労働力再生産がより円満に行なわれうるような内容でなければならないということに
 なる。それらについては、後節において具体的に論述されるが、たとえば船員は無定量包括に
 労働する義務はないにもかかわらず、それが随時的に流動させられる状態にあることから、そ
 うなる恐れがある。したがって、船員法はそうならないように規制することが使命となる。
  船員労働の特殊性は、多面的であるが体系的なものであり、素材的内容も社会的形態を受
 け取る。したがって、ある特定の問題を処理する時、それにかかる主要な特殊性と副次的なそ
 れを見極めて、論じることが肝要である。なお、いままでの船員労働の特殊性論については、
 概説書であることから、逐一批判せずに終わったが、何を批判したかはそれなりに受け止めて
 もらいたい。
【参考文献】
 1) 石井照久「海上労働に関する法的規整の発達1、2」『法律時報』13(1、2)、1941。
 2) 小門和之助『海上労働問題』(第1章「船員生活」)、日本海事振興会、1955。
 3) 笹木 弘『船員政策と海員組合』(序論2「船員労働の特殊性に対する分析視角」)、成山堂
 書店、1962。
 4) 東海林滋「海上労働の特殊性について」『神戸商船大学紀要』文科論集6、1969。
 5) 住田正二『船員法の研究』(第1章「船員法の構造と特異性」)、成山堂書店、1973。
 6) 拙稿「産業労働問題研究序論」『海上労働科学研究所年報』6、1973。
 7) 笹木 弘『技術革新と船員労働』(第1章「船員労働の特殊性に関する体系的詳論」)、成山
 堂書店、1975。
 8) 拙稿「船員福祉の意義と特殊性」『船員福祉の理念とその具体策の調査研究』、海上労働
 科学研究所、1976。
 9) 拙著『船員労働の技術論的考察』(第1章「船舶技術と船員労働に関する基礎理論」)、海流
 社、1979。
 10) 志津田氏治「船員法の現代的課題」『海事産業研究所報』215、1984.5。
 11) 武城正長『海上労働法の研究』(第1章「海運産業と海上労働の普遍性と特殊性」)、多賀
 出版、1985。

初出書誌:同題名、船員問題研究会編『現代の海運と船員』所収、成山堂書店、1987年
1月

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