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(1) 弁論の時期と構成
この弁論は前351-40年頃に書かれたとされる。また、この弁論は、[1-19]では被告たちの 出自であるファセリス人の悪辣ぶりと貸付けの合意内容が陳述される、[20-37]では証人の証 言によって航海の経過が示され、被告たちの借受金の未返済や合意への違背が訴えられる、 [38-56]ではアテナイ人の陪審員の心証に訴え、呼びかける、という構成となっている。なお、 [ ]のなかは、当該弾劾の節番号である。 (2) 当事者 『ラクリトス弾劾』の当事者としては、原告が話者で貸し手のアテナイのスフェットス区の商人 アンドロクレースと、貸し手のエウボイア島カリュストス人のナウシクラテースである。5つのデモ ステネス弁論のうち、アテナイ市民が当事者となるのは、この弾劾の原告と第32番『ゼーノテミ ス弾劾』の被告の2人に限られる。 他方、被告は借り手のファセリス人の商人で、若い兄弟アルテモーンとアポロドーロス、 そして彼らの兄弟で返済保証人かつ後見人、相続人のラクリトスであるが、その中心は弁論 名となっているラクリトスである。そのうちアルテモーンは、いつどこでかは不明であるが、死ん だことになっている[3]。しかし生きているようでもある[30]。 なお、それ以外に多数のアテナイ市民やギリシア人、外国人が登場するのが特徴である。 (3) 金銭の貸し借り 『フォルミオン弾劾』における金銭の貸し借りは、次の通りである。 1 原告のアンドロクレースとナウシクラテースが、アテナイとボスポロス海峡、さらにポントス(黒 海)との往復航海の資金として、3000ドラクマ(30ムナ)を、被告のファセリス人アルテモーンとアポロ ドーロスの兄弟に貸付ける[10]。 2 その利子は1000ドラクマにつき225ドラクマ、ポントスに入域する場合は1000ドラクマにつき300ドラ クマである。その担保はメンデ産ワイン3000壷と、その売上金で買う帰り荷とする。なお、担保 のワインはファセリス人のヒュブレシウスが商人船主である20櫂船が、メンデまたはスキオネ において船積みするものとする[18]。 この被告らの金銭借受けに当たって、ラクリトスが返済保証人となる[4、8、15]。 3 その他、本件に関わりのある金銭貸借としては、原告の担保の上に、被告のアポロドーロス は多分アテナイにおいて、ハリカルナッソス人のアラトゥスから11ムナ(1100ドラクマ)を借りている [23]。 4 商人船主のヒュブレシウスはアテナイにおいて、指揮する船とポントスへの賃積貨物を担保 にして、乗客とみられるキティ人のアンティパテルからなにがしかの金を借りている[22、33]。 5 他方、被告らはポントスにおいて、ファセリス人のある商人船主に100キュジコス金貨(約 2000ドラクマ)を貸している[36]。 6 この同じ人船主はポントスにおいて、自己貨物の他、被告の許しをえて原告の帰り荷 を担保として、乗客とみられるキオス島民からなにがしかの金を借りたという[52]。 それぞれの貸付額は他に比べ高額ではなく、またこの航海事業における金銭貸借は複雑で はないが、被告らがそれを複雑にさせている。 (4) 紛争の内容 この紛争は、原告の弁論によれば、次の通りである。 原告から貸付金を受け取ると、被告のラクリトスとアポロドーロスはアテナイにとどまり、アル テモーンは同郷人のヒュブレシウスが商人船主の20櫂船に乗って出帆し[16]、メンデかスキオ ネにおいて船積みして、ボスポロス海峡を経由し、ポントスの最奧まで航海する。その帰途、海 難が起き、積荷が喪失した模様である[31]。 それはともかく、被告たちが使った船はアテナイを出帆し、ポントスから帰帆してくるが、被告 たちは担保の商品を積まなかったとはいえないので、海難によって担保の積荷が喪失したあ るいは投げ荷されたとか[31]、借受金はこれまた同郷人の商人船主に又貸ししたが、それが 戻っていないとか[36]、様々に言い立て、所定の期限になっても借受金を返済せず、利子も支 払わない、また担保の積荷も手渡さない。 そこで、原告のアンドロクレースとナウシクラテースは、それらの返済を求めて、返済保証人 かつ後見人、相続人であるラクリトスを相手取って、訴訟に出ている。その場合、被告は借受 金を早くもアテナイにおいて勝手に費消しはじめ、またメンデ産ワインを所定量、船積みするこ とを怠っていたことから、彼らは最初から借受金を詐取することを企てていたとみている[17、 19、25、33]。また、こうした悪だくみはファセリス人の生まれつきだと、アテナイ市民の陪審員 に訴えている[1、2、44]。 (5) いくつかの論点 被告ラクリトスが、何を根拠にして借受金の返済を逃れようとしているかである。弁論をみる 限りそれほど明白にはなっていないが、すでにみたように、その第1は海難によって担保の帰 り荷が喪失してしまったこと、第2は借受金の又貸したが未処理になっていること、第3はファセ リス人のある商人船主がキオス島民に手渡した担保の帰り荷が手元からなくなったこと、にあ るとみられる。 第1の担保の帰り荷の喪失については、まず船がそれ以外に何らかの帰り荷を積んでアテナ イに帰港していること、また帰り荷とはいえそうにない塩魚やウクライナ・ワインを担保として積 んでいることから、その喪失に大きな疑問が生まれることは当然といえる。要するに、最初から 積んでいなかったということである。 それ以外は、当時においてもそれ自体、返済を逃れられる根拠にならないが、その上被告 からの借り手が原告の手に及ばない外国人であることからみて、単なる言い逃れにすぎない。 その真実は、被告たちファセリス人一味にいわば反抗するかたちで、船長エラシクレス(出自 不明、多分ファセリス人とみられる)とハリカルナッソス人で貨物上乗人のヒッピアスが、同じ ように、担保となるメンデ産ワインを450壺しかポントス向けに運ぼうとはせず、また遭難した航 海には帰り荷になるような貨物は積んでいなかったという証言[20、34]、そしてハリカルナッソ ス人アポロニデスの奴隷が、乗客として、積荷のなくなった船が難破したという証言[33]からみ て、被告は最初から借受金を最大限に詐取することを企てていたとみられる。 なお、アルテモーンは死んだようだが、実は雲隠れしたのかも知れない。 (6) その他の注目点 この航海事業に使われた船は商人船主の船であるが、そこには雇われ船長(pilot)、そして 貨物上乗人(supercargo)(次項参照)が乗り込んでおり、しかもかなりの量の賃積貨物 (freight)(次項参照)が積まれているかのようである。なお、ハリカルナッソス人アポロニデスと いう商人の奴隷も貨物上乗人の立場にあるとみられる[33]。 商人船主ヒュブレシウスの自己貨物の輸送(private carriage)ばかりでなく―こうした商人の 自己貨物を買積貨物(cargo)という―、アルテモーンのように同乗するしないはともかく、不特 定多数の商人の貨物、それは商人船主からみれば他人貨物の輸送(common carriage)がか なりの程度行われていた船であるかにみえる。そうした貨物を賃積貨物という。その船に同乗 しない商人の代理人として乗船し、現地における売り捌きや買付けなどを手配するのが、貨物 上乗人である。 すでにみたように、商人船主ヒュブレシウスは賃積貨物という他人の貨物を担保にして金を 借りているが、それは言語道断であり、横領そのものである。この時代、賃積貨物輸送はよう やく開発の途上に入ったかにみえる。その点で貨物上乗人は必至であったのであろう。 この船の帰り荷は主として穀物であったとみられるが、行き帰りともワインや塩魚といった食 品が積荷となっていることは、エーゲ海や黒海における海上交易の塩臭さを感じさせる。そうし たものが賃積貨物の実体であったのであろうか。 この事件の当事者や関係者には、きわめて多数のポリスあるいは植民市のギリシア人や外国 人が登場していることである。それは、ギリシアの海上交易の、よくいえば国際性、といっても 地中海性、普通にいえば非アテナイ人への依存性をよく示している。 (7) いくつかの海事用語 デモステネス弁論の時代、海事用語が未成立であったためか、あるいは弁論においてそれ が使用されなかったかは不明であるが、英文テキストでは海事用語として訳出されているの で、二、三紹介する。 貨物上乗人(diopeuon、supercargo)という用語は、この弁論第35番『ラクリトス弾劾』、第32 番『ゼーノテミス弾劾』、そして第56番『ディオーニソドーロス弾劾』において英訳されている。そ れは、佐波宣平氏によれば、仕向地に「商人がみずから出かけて行けない場合、代理人を派 遣した」。「古代、中世、近世の海上貿易史にははなはだ馴染みぶかい」が、「古代または中世 の海上貿易では、このような特別の呼称は見られなかった。時として商人またはその代理人と が区別されず、『乗客』と呼ばれた」という。その例は弁論第34番『フォルミオン弾劾』51節にあ る「乗客」だという。そして、その用語はスペイン語 sobercargo のからはじまったとする(同著 『海の英語』、p.414-7、研究社、1971)。 賃積貨物(freight)という用語は、この第35番32節『ラクリトス弾劾』のみに用いられている。 佐波宣平氏によれば、このfreightは本来「運賃」を意味するが、近世イギリスでは「cargoは、 つねに、貿易商が自分の計算のため買い入れて運送する自分の貨物(goods for owner's account)[われわれがいう自己貨物、買積貨物] の意味に、freightは運賃の収得のためにのみ 運送される他人貨物(goods carried merely for hire)の意味に使用しており、現今ではほとんど 同義に流用されている」とする(前同p.163-4) 前沢伸行氏は、すべての船載貨物を一様に「船荷」と訳し、それは「船賃・運送費」をも意味 するという。そして、その後者が海上貸付の担保になったどうかの議論を紹介している。それは cargoとfreightとの区別できないがための混乱である(前沢前同「紀元前4世紀のアテナイの海 上貿易」弓削達・伊藤貞夫編『古典古代の社会と国家』、p.118、東京大学出版会、1977)。な お、貨物上乗人について、特記はない。
[1] 陪審員の皆さん、ファセリス人(注)の悪だくみは、いまにはじまったことではありません。彼
らは、ただやりたいように、やっているだけです。彼らは、あなた方の取引所で金銭を貸借する 場合、殊勝らしく振る舞います。しかし、彼らは海上交易契約を結び、金を手に入れると、すぐ さま契約や法律があること、また彼らが借りたものを返済する義務があることを忘れてしまい ます。 (注) ファセリスは小アジア南部海岸、ビチュニアの町である[この注釈は疑問。ビチュニアは前3世紀に小 アジア北西部にできた独立国であって、ファセリスはトルコのケメル近郊にある古代ギリシアの植民地をい う]。 [2] 彼らは借金を返済するとき、自身の私有財産のなにがしかが失われていくように感じるとい う。また、返済するとしても、へ理屈をいったり、異議申し立てしたり、口実を設けたりして、何 かをでっち上げようとします。ここにその証拠があります。ギリシア人や異民族といった、あなた 方の取引所に出入りする大勢の人々のなかにあって、ファセリス人だけが誰よりも多くの訴訟 を抱え、裁判所が開かれているあいだじゅう(注)、それに関わっています。それが彼ら人種の ありようなのです。 (注) 海事紛争処理のための裁判所は9月から4月まで開廷される。その期間は海への航海ができない時 期であった。デモステネス弁論第33番23節参照。 [3] それにもかかわらず、私は、陪審員の皆さん、アルテモーンとその弟に、商法にのっとり、 ポントス[黒海]まで行って帰るという[往復]航海用として、金を貸してしまいました。彼が私に 金を返す前に死んでしまったので、契約の際にのっとった同じ法律にしたがって、私はここにい るラクリトスに対して訴訟を起こしています。 [4] なぜなら、彼はアルテモーンの兄弟であり、彼がここ[アテナイ]に残したあるいはファセリス に置いてある、彼の全財産の所有権を持ち、しかも彼の全遺産の相続人だからです。それで ありながら、彼は兄弟の財産を取得し、好きなように管理する権利を与えた法律を示すことが でません。そして、他人のものである金を返済することを拒否したり、また自分が相続人でない といまになって言いつのれる法律を示すことができません。彼には死んだ人の私事に関わる 根拠がまったくないのです。 [5] これがラクリトスという輩の極悪非道です。陪審員の皆さんに私にこの問題に関する好意 的な審問を下し、さらにまた彼が金銭を貸した私たちに不正を働いたことが証明された場合、 私たちに然るべき援助が与えられるようお願います。 [6] 私自身、陪審員の皆さん、これらの人々とは知り合いといえるものではありません。しか し、著名なディオファントスの子でスフェットス区(注)のトラスメデスと、その兄弟のメラノポスは 友達です。われわれは非常に親密な間柄です。これらの人々が、ここにいるラクリトスを連れ て、私のところに近づいてきました。彼らは、あれやこれやの手づるでもって―その方法は知り ません―知り合ったのでしょう。 (注) スフェットス区はアカマンティス部族の市区(デーモス)である。 [7] 彼らは、この男の兄弟であるアルテモーンとアポロドーロスにも、ポントスへの航海用に金 を貸すよう求めてきました。彼らはある交易事業で結びついていました。私と同じように、トラス メデスはこれらの人々の極悪非道さについて何も知らず、尊敬すべき人物だと思っていまし た。彼らは自らを、そうであるかのように装い、またそうした物言いをしていました。そして、約 束したことはすべてやり遂げるし、また仲間のラクリトスもそうすると理解していたのです。 [8] 彼は完全に偽られ、付き合っているこれら男たちが怪物たちとつるんでいたとは、考えが 及びませんでした。私は、トラスメデスとその兄弟によって説得され、またラクリトスが私に示し た自分の兄弟は最善を尽くすという保証を承知したことを認めます。そこで、私は友達であるカ リュストス人(注)を立会人にして、30ムナ[注]を銀貨で貸しました。 (注) カリュストスはエウボイア島[南端]にある町である。 [注] 1タラントン=60ムナ、1ムナ=100ドラクマ。 [9] 私は、陪審員の皆さん、まず私たちが金を貸すときに作った合意書を読み下し、また貸付 けを組んだとき現場にいた証人を聴聞するよう、お願いします。その前に、私はこの事件の残 りの特徴を取り上げます。また、彼らが貸付けに関して、強盗のような振る舞いをしたかを示し そうと思います。 合意書を読み、そして証言をお聞き下さい。 合意書 [10] スフェットス区のアンドロクレースとカリュストス人のナウシクラテースとは、ファセリス人の アルテモーンとアポロドーロスに、アテナイからメンデあるいはスキオネ(注1)へ航海し、そこか らボスポロス海峡へ―さらに望むならば、ポントス左岸のポリュステネス川(注2)までに進み、 その後アテナイに戻るという航海のために、銀貨で3000ドラクマを貸しました。利子は1000ドラクマ に対して225ドラクマとしました。しかし、彼らはアークトゥルス期(注3)に入ってから、ポントスから ヒエロン(注4)に向けて出帆する場合には、1000ドラクマに対して300ドラクマ、担保としてメンデ産 のワイン3000壺とすることにしました。彼らはメンデあるいはスキオネで、20櫂船に船積みする ことになっていました。 (注1) [いずれも]カルキジキ地方のパレネ[現カサンドス]半島にある町。天候によって、どちらかの港に入 港するかが決った。 (注2) 現代[ウクライナ]のドニエプル川。 (注3) 9月中頃をいう。これは航行には危険な季節と考えられていた。そのため高い利率となった。 (注4) そこはゼウスの寺院があることからヒエロンと呼ばれていたる場所で、ボスポラス海峡の黒海よりで アジア側にあるトラキアへの入り口にあった[ヘラクレイアと同じか]。 [11] 彼らは、それら商品を担保に差し出して他人から借金しない、またこの担保に追加の借受 金を作らない。そして、ポントスで帰り荷として船積みした商品を、同じ船でアテナイに持ち帰る ことに合意していました。商品がアテナイに着いたなら、彼らがアテナイに到着後20日以内に、 合意書が取り決めた金額を、借り手は貸し手に返済することになっていました。ただ、その金 額から乗客たちの同意による投げ荷、あるいは敵方に支払った金額は除外されるが、それ以 外の損失は控除としない。そして、彼らは担保として指定された商品を全部、貸し手に差し出 し、彼ら自身が合意が取り決めた金額を返済するまで、貸し手の完全な管理の下に置くことに なっていました。 [12] さらに、彼らが合意の時期までに返済しようとしない場合、貸し手がその商品を質入れし たり、また貸し手が付けた値段で彼らを売り払うこと、またその売上高が貸し手が合意にした がって受け取るべき額よりも少なかった場合、貸し手が個別あるいは共同で、アルテモーンと アポロドーロスに対して訴訟を起こして、総額を取り立てること、そして彼らに判決が下ってもな お支払いを履行しなかった場合、海陸を問わず彼らの資産に対して訴訟を起こすことは、適法 としていていました。 [13] また、彼らはポントスを入らなかった場合、ヘレスポントス[ダーダネルス海峡]にはシリウ ス月(注1)に入ってから10日以上留まらない、またアテナイ人が押収の権利(注2)を持ってい ない港には、それらの商品を陸揚げしないことになっていました。アテナイへの航海が完了す ると、契約に記載された利子を年内に(注3)支払うよう催促されます。また、その船が修理して もどうにならない状態であっても、商品を積んでおり担保が無事であれば、それがどのようなも のであれ、貸し手たちの共同財産に繰り入れられるものとする。そして、これらの件に関して、 合意書以上に有効な効力を持つもの存在しないとしてありました(注4)。 証人:ペイライエウス区のフォルミオン、ボイオティア人のケフィソドトス、ピトス区のへリオドロス (注5)。 (注1) シリウス月(7月25日-8月5日)に入って10日間は時化ると考えられていた。 (注2) それがある港ではアテナイ人の船は安全であった。 (注3) 復航が遅れでも、法的な年が終了する(夏至)までは、利率は変わらないことをさす。 (注4) これは契約の文言は絶対的であるとしたものである。デモステネス弁論第35番39節と比較のこと。 (注5) ピトス区はケクロピス部族の市区である。 まず宣誓証言を読んで下さい。 [14] 証言 アルケダモスの子でアナギュルス区のアルケノミデスは、スフェットス区のアンドロクレース、カ リュストス人のナウシクラテースと、ファセリス人のアルテモーンとアポロドーロスとが、彼ととも に結んだ合意書の条文を寄託してきたこと、そして合意書が彼の手元に保管されていることを 証言します。 証言 特権外国人テオドトス[注]、エピカレスの子でレウエコウム人のカレニウス、クテシフォンの子 でペイライエウス区のフォルミオン[注]、ピトス区のヘリオドロス、そしてボイオティア人のセフィ ソドトスは、アンドロクレースがアルテモーンに銀貨で3000ドラクマを貸したとき彼らと立会ってい たこと、そして彼らがアナギュルス区のアルケノミデスとともに合意書の各条文を寄託したこと を知っていることを証言します。 [注] テオドトスは貸付人かつ調停人、居留外国人フォルミオンは被告として、デモステネス弁論第34番『フォ ルミオン弾劾』に登場する。 [15] この合意書にしたがって、陪審員の皆さん人、私はアルテモーンに、この男の兄弟である ラクリトスの要望と、貸付けに当たって作成した合意書にもとづいて、私に帰属するものはすべ て受け取れるというかれの約束にしたがって、私は金銭を貸しました。ラクリトスは自ら合意書 を作成し、それを書きおえると、それを密閉することにも加わりました。彼らの兄弟はまだ若く、 ほんの少年ですが、ファセリス人のラクリトスは社会的地位の高い著名人であり、イソクラテス (注)の教え子です。 (注) 有名な弁論家、エッセイスト、そして修辞学の教師[前436-338]。 [16] この問題を全体として管理したのは彼でした。彼は私に、自分を相手にしていればよく、 私に良かれと思われることを何でもやります。また、彼はアテナイにとどまり、彼の兄弟アルテ モーンが商品を世話して出帆するといっていました。同時に、陪審員の皆さん人、彼は私たち から金銭を借りようとしたとき、自分はアルテモーンの兄弟であり、その仲間だと宣言し、驚く べき説得力でもって話していました。 [17] しかし、彼らは金銭を手に入れると直ちに、彼らのあいだで分け、好きなように、それを使 いました。彼らは、海事契約に基づき資金を入手しておきながら、それら条文を大小にかかわ りなく一切実行しませんでした。その真相は彼ら自身が明らかにしてくれます。それらが万事の 張本人はラクリトスという輩です。私は契約の条文を逐一取り上げ、彼ら男たちが何一つ正し いものがなかったことを示すつもりです。 [18] 最初に、ワイン3000壺(注)を仕入れるため、私たちから30ムナを借りたと書かれていま す。そのとき、彼らは30ムナ以上の担保を持っていると言いふらしていました。そのワインの金 額は、ワインの積込みにかかる費用を含め、1タラントン[60ムナ]という価格に相当していました。 これら3000壺はヒュブレシウスが商人船主[注]の20櫂船に積み、ポントスに運ぶことになって いました。 (注) ワインの壺は約6ガロン入りである。 [注] 英文テキストでは owner(あるいはshipowner) とあるが、弁論内容からみて、商人船主または商人船主 船長を意味するnauleros(ナウクレーロス)である。ここでは別に船長がいるので、商人船主とする。 [19] これらの条文は、陪審員の皆さんが聞かれた、合意書のなかに書かれています。しかし、 3000壺ではなく、ボートに[積めるくらいの]500壺しか積もうとしませんでした。また、あるべき の量を買おうとはせず、彼らが好き勝手に金を使いました。合意書が取り決めた3000壺につ いて、彼らはそれらを船にまったく積むつもりがなかったことを意味します。 これらの私の陳述が真実であることを証明するため、同じ船に乗って航海した人々の証言を お聞き下さい。 証言 [20] エラシクレスは、ヒュブレシウスが商人船主の船の船長(pilot)であり、彼の知人アポロド ーロス(注1)のためにメンデ産ワインを450壺運んでいたこと、そしてアポロドーロスはそれ以 外にポントス向けの貨物を運ぼうとはしなかったことを、証言します。 証言 アテニッボスの子で[現トルコのボドゥルムである]ハリカルナッソス人のヒッピアスは、ヒュブレ シウスの持ち船に貨物上乗人(supercargo)として出帆し、彼の知人ファセリス人のアポロドー ロスのためにメンデからポントスへ、450壺のメンデ産ワインを船で運びましたが、それ以外に なかったことを証言します。 それに加え、宣誓供述書(注2)が、ムネソニダスの子でアカルネイ区(注3)のアルティデス、フ ィリップの子で[エウボイア島北部の]ヒスティアイア人のソストラテュス、エウボエウスの子でヒ スティアイア人のエウマリケウス、クテシアスの子でクペテ区のフィルティアデス、そしてデモクラ ティデスリの子でコロレイダイ区のディオニュシオスから、提出されています。 (注1) これは恐らく、この見せかけの証言の書き手がちょっとした不注意による[誤りである]。デモステネス 弁論第35番16節には、それが積荷とともに航海したのはアルテモーンだとして語られている。 (注2) 宣誓供述書は、それがそのために指名された証人の面前で書き下ろされ、宣誓に基づいた書面であ ることが確認されれば、本人自らで出廷できなくても証拠として認められた。 (注3) アカルネイはオイネイス部族、クペテはケクロピス部族、コロレイダイはアイゲイス部族の市区であ る。 [21] 船積みは彼らの仕事であったが、積まれたワインの量をみれば、彼らが何を企もうとして いたかがわかります。この時点から合意を破り、やるべきことをやり遂げようとはしないという 悪だくみの第1章が、まさに始まったのです。その第2章は、合意書では債務が一切付いていな い商品を担保にすると誓約していながら、担保になるものをまったく持っておらず、彼らは誰か から貸付けを受けて、それを担保にしようともしませんでした。 [22] これは、陪審員の皆さん、明快な陳述です。しかし、彼らは何をしたのでしょう。彼らは、合 意事項に従わないで、誰からも借金なぞをしていないとたばかったうえで、ある若者から金を 借りています。私たちを欺いた上で、私たちの知らないうちに、われわれの担保の上に[別の] 金を借りています。さらに、彼らが借りる際に担保とした商品はややこしいものではないと主張 して、その若者を偽りました。このようなことが彼らの極悪非道であり、そのすべてがこの男ラ クリトスの悪知恵のなせる技です。 私が真実を話していること、彼らが合意書に反して追加金を借りたことを証明するために、追 加の貸付けを行った本人の宣誓供述書を、書記があなた方に読むよう指示して下さい。 宣誓供述書を読んで下さい。 供述 [23] ハリカルナッソス人のアラトゥスが証言します。私はアポロドーロスに、ポントス向けにヒュ ブレシウスの船で運んでいる商品、およびそこで帰り荷として買い入れた商品のために、銀貨 で11ムナに貸しましたが、被告がアンドロクレースから借金していることは気づていませんでし た。なぜなら、当人自身はアポロドーロスに金銭を貸すつもりがなかったからです。 [24] これがこれら男たちの極悪非道です。そればかりでありません。その後のことについて合 意書にはこう書かれています。陪審員の皆さん、彼らがかの地に持ち込んだ商品をポントスで 売ったとき、売上金から他の商品を帰り荷として購入し、それを帰り荷としてアテナイへ持ち帰 る。そして、アテナイに到着したとき、彼らは20日以内に品質保証のある通貨(注)で、借受金 を返済する。そして、その返済が滞る場合、私たちが商品の管理権を持ち、金が戻ってくるま で、彼ら商品をそっくりそのまま、彼らはわれわれに手渡すことになっていました。 (注) すなわち重量と純度が証明されていることをいう。金貨や銀貨をいじくることは、現代だけのやり口に はみえない。 [25] これらの条文は合意書に明文化されています。しかし、これらの人々は、陪審員の皆さ ん、根っからの傲慢で無知な態度を露骨に示し、合意書に書かれた条文をいっさい留意してい ません。そればかりか合意書を単なるごみのように無意味なものとみなしています。そのため に、彼らはポントスで他の商品も購入しなかっただけでなく、アテナイへ運び込むべき帰り荷を 何も積みませんでした。彼らがポントスから戻ってきたとき、金を貸した私たちが金を取り返そ うとしても、私たちの所有あるいは取得に帰すべきものと言い張れるものが、何一つもありま せんでした。彼らはあなた方の港に何も持ち込まなかったからです。陪審員の皆さん、私たち は前代未聞の扱いを受けています。 [26] 私たちが、自分たちの町において悪事を犯したとか、彼らに有利な判決が言い渡されて いるとかであればともかく、ファセリス人である彼ら男たちによって、あたかも報復の権利がア テナイ人にはなくファセリス人に付与されているかのように(注)、私たちの財産が奪われようと しているのです。彼らが受け取ったものを払い戻すことを拒否しているとき、他人の商品を力づ くで手に入れる以外に、そのような連中にどう報いればよいのですか? 私に関しては、彼らが 私たちと関係していること、そしてまた私たちから金を受け取っていることを認めることほど、不 愉快なことはありません。 (注) 前出のデモステネス弁論第35番13節参照。また、スミス著『古代遺物辞書』、芸術サイラ社を見よ。 [27] 契約書にあるすべての条文が争点となり、司法の判断が必要となっているとしても、陪審 員の皆さん、見方を変えれば、双方の当事者が認め合った条文や海事合意書に盛られた条 文がある限り、すべての人にとって最後の砦となるとともに、双方の当事者は書かれているこ とに縛られざるをえません。しかしながら、彼らは合意書の条項を一つとて実行せず、彼らは そのはじめから不正を計画し、詐欺を目指していたことは、目撃者と彼ら自身の証言によって 明瞭に証明されたと思います。 [28] いまここで、ラクリトスの輩が行った途方もない出来事を聞いてもらわなければなりませ ん。すべての出来事を管理していたのは彼なのです。彼らがここに到着したとき、彼らはあな た方の港に入港せず、泥棒湾(注)に錨を下ろしました。そこはあなた方の縄張りの外にあり、 そこに錨を下すことはアイギナやメガラ[といったポリス]に錨を下ろすことと同じです。勿論、そ の湾から望む場所に向けて、いついかなるときにも、出帆することができます。 (注) その湾には小さな入り口しかなく、そのことのおかげだとはいえないとしても、泥棒や密輸業者が使用 していた。ジュデイシュ著『アテナイの地形図』、450ページを見よ。 [29] さて、彼らの船はそこに25日以上も停泊し、あなた方の見本市(注1)のまわりをうろつい ていました。他方、私たちは彼らに話しかけ、できるだけ早く、金を払い戻すよう命じました。ま た、彼らは同意し、あらゆる手だてを取るといいました。私たちが彼らに接近しながらも、船か ら何を降ろそうとしてはしないか、また入港税(注2)を支払おうしてしないかを確かめるため に、彼らから目を離しませんでした。 (注1) この市場にはサンプル商品を展示する場所があった。デモステネス弁論第50番24節と比較せよ。 (注2) 港湾管理官の帳簿をみると、2パーセントの税が徴収されているので、それに応じてどれくらの量の 商品が陸揚げされたかがわかる。 [30] しかし、彼らが大変長い期間、町にいたが、彼らが船から何かを降ろしたとか、彼ら名義 で入港税を払った様子はありませんでした。そこで、彼らにわれわれの要求をいままでになく 押しつけました。彼らにとって私たちが厄介になったとみえ、ラクリトスの輩やその兄弟のアル テモーンは、商品がすべて失われたので返済は不可能だと答えてきました。そして、ラクリトス は自分の立場を明らかにすると宣言しました(注)。 (注) 詭弁家がよく使う、「災いを転じて福となす」という、鋭い反撃。 [31] 私たちは、陪審員の皆さん、こうした言葉に憤慨しましたが、いくら憤慨しても何もえられ ません。彼らはそんなことをまったく問題にしない連中なのです。それでも、私たちは商品を失 しなわない方法はないかと、彼らに詰め寄りました。この男ラクリトスは、船がパンティカパエウ ムからテオドシアにかけての海岸(注)に沿って航海していたところで難破し、そのときに同乗し ていた彼の兄弟の商品が喪失したといいました。そのとき、商品として塩魚、コス島ワイン [注]、その他種々の品が積まれていました。これらが帰り荷として積まれており、アテナイに持 って来るつもりだった。それらが船のなかでなくなったわけではないといいました。 (注) パンティカパエウムは現ケルチ、テオドシアはクリミア半島の現カッファ[フェオドシア]である[いずれも ウクライナ]。 [注] コス島ワイン(Coan Wine)は、弁論の脈略からすればウクライナのワインとみられるが、コス島には典型 的な塩味ワインとしてのそれがあり、プリニウス(23?〜79、古代ローマの軍人・博物誌家)も伝えているという。 また、コス島は西洋医学の祖ヒポクラテス(前460?-375)の生まれた島であり、ワインを治療薬とした。 [32] それは彼が言ったことですが、彼らのいまわしい不正やうそつき癖を、あなた方が学ぶの に役立つはずです。彼らは難破した船について契約を結んでいません(注1)。だが、アテナイ からポントスへの賃積貨物(freight)、そして船そのものを担保にして、別人が貸していました。 (アンティパテルが貸し手の名前です。彼は生粋のキティ人です(注2))。コス島ワイン(そのうち 80壺は酸っぱくなっていました)と塩魚は、先に述べた船でパンティカパエウムからテオドシア へ、彼の農場の労働者用として輸送されていたものです。それなのに、彼らはこれらについて 弁解し続けようとしています。それはなぜですか? それは賢明な言い逃れとはいえません。 (注1) この話者の主張は、船が難破したとしてもそのことで、ラクリトスが彼の義務から逃れられない、とい うことにある。アンドロクレースが行った貸付けはその船を担保としておらず、積荷のメンデ産ワインとポント スから持ち帰ることになる帰り荷を担保としていた。その船はアンティパテルに、抵当に出されたかのように みえる。(船が損害を受けたとき、船外投棄によって)失われた商品は帰り荷ではなかったと、話者は考えて いる。その船が現実には失われていないことは、デモステネス弁論第35番28節においてその船がアテナイ に戻ったと述べられていることからみて、当然に導かれる推論とみられる。 (注2) キティウムはキプロスの港[現ラルナカ]である。 [33] ここで、まずその船を担保に金を貸したのがアンティパテルであったことを示すため、アポ ロニデスの証言を取り上げて下さい。彼らはこの海難に影響を受けていません。そして、その 後、80壺だけが船に残り輸送されたことを示すため、エラシクレスとヒッピアスの証言を取り上 げて下さい。 証言 ハリカルナッソス人のアポロニデスは、知人で生粋のキティ人のアンティパテルがヒュブレシウ スが指揮する船とポントスへの賃積貨物を担保として、ポントスへの航海用の金をヒュブレシウ スに貸したこと、そして彼自身がヒュブレシウスとともに、その船の共有者だったことを証言しま す。彼が所有する奴隷は乗客であり、船が海難にあったときその使用人は在船しており、その 模様を彼に報告しています。その後で、積荷のなくなったその船が、パンティカパエウムからの テオドシアへの海岸を航海中に難破したこと、を証言します(注)。 (注) 上記に言及された塩魚やコス島ワインばかりでなく、まったく積荷がないということである。 [34] エラシクレスは、彼が船長のヒュブレシウスと一緒にポントスへ航海し、またその船がパン ティカパエウムからテオドシアへの海岸に沿って航海していたとき、船には貨物がなかったこと が分かっていました。そして、この法廷の被告当人であるアポロドーロスは(注)船に積まれて いたワインを飲まかったが、約80壺のコス島ワインをテオドシアにいるある人物のために輸送 していたことを、証言します。 アテニッボスの子でハリカルナッソス人のヒッピアスは、その船の貨物上乗人として、ヒュブレ シウスとともに航海し、船がパンティカパエウムからのテオドシアへの海岸に沿って航海してい たとき、アポロドーロスが船に羊毛を1かごか2かご、塩魚を11壺か12壺、そしてヤギの皮―2、 3束―(その他はなし)を積んでいたことを、証言します。 (注) この節が挿入文でないとしても、私たちはアポロドーロスがラクリトスの共同被告として訴えられていた と考えなければならない。しかし、この挿入された文言は見せかけである。 これらに加えて、宣誓供述書が(注1)、ダモティモスの子でアフィドナイ区のイウヒレトウス、テ モクヌスの子でテュマイタダイ区のヒッピアス、フィリップの子で[エウボイア島北部の]ヒスティ アイア人のソストラテュス、ストラトの子でトリア区のアルケノミデス、そしてクテシアスの子でク ペテ区のフィルティアデスから(注2)、提出されています。 (注1) 上記20節(注2)を参照のこと。 (注2) アフィドナイはアカンティス部族、テュマイタダイはヒッポトンティス部族、トリアはオイネイス部族、また クペテはケクロピス部族の市区である。 [35] そのようなものが彼ら男たちの破廉恥さです。さて、陪審員の皆さん、あなた方の良心に おいてお考え下さい。ポントスからアテナイへの交易に、ワインそれもコス島ワインを取り立て て輸入するといった人々のことを、見聞きされたことがありますか。ものごとはその正反対で す。ワインというものは、私たちの周辺、そしてペパレトス島、コス島、タソス島(注)、メンデ、そ の他いろいろな場所から、ポントスに運ばれるものです。他方、ポントスからここに輸入された ものは、それとはまったく異なるものです。 (注) ペパレトス島や、コス島、タソス島は、すべてエーゲ海の島である。 [36] 私たちが彼らを放免することを認めず、いかなる商品がポントスに残されているかを問い ただしたところ、被告ラクリトスは100キュジコス金貨(注)が留め置かれているが、彼の兄弟が ポントスでその額を金貨で、彼の友達で国もののファセリス人のある商人船主に貸したもの の、それを取り戻せないので、これまた商品と同じようになくなってしまった、と答えました。 (注) デモステネス弁論第34番23節の注釈を参照のこと[それによれば、「キュジコス金貨とは合金で作られ ていたコインのことで、およそ金4分の3と銀4分の1の合金です。それは通常の金貨より約2倍重く、20ドラクマ に相当する」。キュジコスは、プロポンティスあるいはマルマラ海南岸にあり、トルコにあった古代ギリシアの 植民地である]。 [37] それはラクリトスの輩の言い分であって、合意書は、陪審員の皆さん、そうはいっていませ ん。それは、彼らに帰り荷に積み、それをアテナイの皆さんに持ち帰るよう求めており、私たち の財産を私たちの同意なしに、彼らのお気に入りのポントスであろうとなかろうと、貸付けるこ とは認められていません。その一方で、アテナイで、そっくりそのまま、私たちに返すことが求 められており、私たちは貸した金を取り戻さなければならないのです。 さて、合意書を再び読んで下さい。 合意書 [38] 合意書は、陪審員の皆さん、私たちの金を私たちが知らない人とかあるいは見たこともな い人に貸してよいと、これらの人々に命じていますか? また、彼らの船に帰り荷を積み、アテ ナイに運び、そしてそれを指示し、それをそっくりそのまま、私たちに返すよう命じていないので すか? [39] 合意書は、それに含まれる文言以上の権能をふるうことを認めていませんし、誰であって も法律もや法令、それらの規定に違反するものを作ることはできません。彼らは、その手始め から合意書を無視して、私たちの金を、あたかも自分自身のものであるかのように利用しただ けです。彼らは、詭弁家のように恥知らずで、男として不誠実です。 [40] 私は、ゼウスや神々にかけて、誰彼にも恥じることはありません。まして、陪審員の皆さ ん、彼が詭弁家となろうと、イソクラテスに金銭を払おうと、非難なぞしません。もし、私がその 種のことに関かわれば、狂ったということになります。しかし、ゼウスに誓って、私は、その男た ちが人々を軽蔑し、利口ぶって、むやみに他人の財産を欲しがり、それをだまし取ろうと言葉 巧みにねらっていますが、そこに正しいことはありません。それらが、この悪党の詭弁家によっ て強いられる苦しみの、一部です。 [41] このラクリトスの輩は、陪審員の皆さん、この事件の真偽を質そうとする、この法廷に出頭 しようとしません。しかし、彼とその兄弟はこの貸付け事件に完全に関与しています。彼はずる 賢く、合意書さえ悪だくみを正当化するのに役立つと考えており、自分の思い通りにあなた方 が判断を誤るようにもっていけると思っています(注)。彼は、この事件に関して自分のずる賢く 言いつくろい、金のありかを探し、また少年を集め、彼らを教え諭すと約束するでしょう。 (注) この一節とアリストファネス[前448?-385?、アテナイの喜劇作家]喜劇『雲』にあるソクラテスの「学校」 の描写とのあいだに、密接な関連があることが見逃されがちである。 [42] まず最初に、陪審員の皆さん、あなた方が悪事と不正とみなす―あなた方の取引所で、 海上交易用の資金を借り、それを貸し手から詐取し、そしてその返済を拒否する―技法を、彼 は自分の兄弟に教え込みました。こうした技法を教える輩以上に卑劣な輩がはたしているもの でしようか? そればかりか、彼は尊大ぶっており、話術力と教師に払った1000ドラクマを信じ切 っています。 [43] あなた方にいいます。彼らが私たちから金を借りていませんとか、それを借りたが払い戻 しましたとか、海上交易のための合意書は締結されていませんとか、人々は合意書に基づい て受け取った金を、それ以外の目的のために使う権利があるとかを、彼にいわせてみて下さ い。彼が選んだものの一つでもいいから、彼にその事実を証明させて下さい。彼が、商事契約 事件に判決を下そうとするあなた方に証明できるなら、私は彼がこの世の中で最も利口である ことを素直に認めます。しかし、私には、彼があなた方に証明できもしないし、また信じてもらえ るものが何一つないことは、よく分かっています。 [44] しかし、それとは別ですが、陪審員の皆さん、神にかけて、この事件とは逆のこと―金を 借りたこの男の死んだ兄弟ではなく、私が彼の兄弟から1タラントンあるいは80のムナ、あるいはな にがしかを借りたこと―を想像してみて下さい。そのとき、ラクリトスの輩が飾り立てて使ってい る、同じ言葉が繰り返されるさまを、素直に想像できますか? さらに、彼が相続人でなく、まっ たく彼の兄弟の関わりがないとか、死者からなにがしかを借りている人たちから手に入れたよ うに、ファセリスやその他において、彼が私から支払いを無慈悲に強要しないといったことを、 あなた方は想像できますか? [45] また、私たちのうちの誰かが彼が提起した訴訟の被告となり、その事件は法廷に持ち込 めるような一事件ではないと宣言し、あえて異議申し立てした場合、また彼のいう事件は商事 事件として法廷に持ち込めるものでないと、誰彼もが評決した場合、彼は憤慨して凝り固まり、 非道で不法な扱いを受けたと宣言し、あなた方に抗議するようになるのは知れたことです。そ こで、ラクリトスよ、あなたは自分自身のために考慮したことが、私のためにしたことになりはし ないか? 同じ法律が、私たちすべてのために書かれているのではないのか? それとも、私た ちは商事訴訟について、まったく同じ権利を持っていないとでもいうのですか? [46] しかし、彼は嫌悪の情を起こさせるに尋常とはいえないといったほどの、下劣な人種で す。彼は、あなた方が商事法廷をいま取り仕切ろうとしているとき、この商事事件は棄却すべ きだと票決するよう仕向けようとしています。何か言い分でもあるのか、ラクリトス。それは、私 たちがあなたに貸した金を奪われた上で、私たちが私たちに対して起こされた裁判の費用を 払わないといって、私たちを刑務所へ送り込んでなお、十分ではないというのか? [47] それは、あなた方からみて悪辣でも、残虐でも、無恥でもないといわれるのですか? 陪審 員の皆さん、彼らはあなた方の港で、冒険航海のために金を貸したもののいまなお猫ばばさ れている人々が、金を借りながら返済を逃れようと努力している連中によって、刑務所に送ら れるべきだとでもいうのですか? あなた方がこれら紳士を制裁することは、ラクリトスと同じこと になるのではないですか? そうなった場合、陪審員の皆さん、私たちは商事契約の事件につ いて公正な裁きを受けるため、それをどこで持ち込めばいいのですか? 区の裁判官[注]にで すか、その機会はいつですか? 「十一人」にですか?(注1) しかし、彼らは強盗や泥棒、その 他凶悪犯を法廷に入れ、重罪を言い渡しています。それでは、アルコン(執政官)の前にです か?(注2) [注] それは区内を巡回して裁判した。アリストテレス[前384-322、哲学者・科学者]『アテナイの国制』53:1 -2を参照のこと。 (注1) この[各部族から選ばれた役人によるであるヘンデカ=「十一人」と呼ばれる]警察委員の組織は、重 罪事件を審理する権限を持ち、また有罪と判決されたものの保護監督にも携わっている。 (注2) このアルコン(エポニューモス)[筆頭アルコンで、紀年のアルコンと呼ばれた]は、親、孤児、そして相 続財産を持つ未婚少女の苦情について判決を言い渡す義務を持っている。前出『アテナイの国制』56:6-7 を参照のこと。 [48] しかし、アルコンは相続人、孤児、そして親を保護するために、任命されています。それで は王のアルコンの前に出ればいいのですか?(注1)。しかし、私たちには体育競技祭奉仕(ギュ ムナシアルキアー)はありませんし、誰一人として不信仰で起訴されたこともありません。ポレマ ルコス(注2)が私たちを法廷に連れに来るのでしょうか? そうです、身元引受人の無視のかど で、あるいは身元引受人の無指名のかどで(注3)。それでも将軍に[身柄を]預けています(注 4)。しかし、彼らは三段櫂船司令官を任命され、商業訴訟の法廷に出られません。 (注1) [このアルコン・バレシウスは祭事執政官と訳される]王のアルコンの機能は大部分は宗教である。ま た、体育競技祭奉仕あるいは祝祭競技[例えば、松明競争]の監督は、彼の管理の下にあった。前出『アテ ナイの国制』57を参照のこと。 (注2) [このアルコン・ポレマルコスは軍事執政官と訳される]第3のアルコンをいい、本来は戦争の大臣で あるが、外国人の権利に関連した事件を扱う法廷を統轄した。前出『アテナイの国制』58を参照のこと。 (注3) 居留外国人は、市民の誰かを身元引受人とし、その下で登録することが要求された。 (注4) 10人の将軍は毎年[十部族から選出]任命される。そのうちの1人が三段櫂船司令官の指名に関わ る裁定機能を持っていた。前出『アテナイの国制』61:1を参照のこと。 [49] しかしながら、私は單なる商人ですが、あなたは私から交易事業のために金を入手した 商人の兄弟で、しかも後見人です。誰を、この法廷に出廷させるべきでなのか? 私に答えなさ い、ラクリトス。何が正義か、何が法律にのっとっていたかを、一言でいいなさい。何はともあ れ、少年のように何んでもかんでも正しいといえるような、男などいるはずがありません。 [50] そればかりでなく、陪審員の皆さん、私はこの男、ラクリトスの手にかかって手荒い目にあ いました。そのために、私の金銭が詐取されることに加えて、私はきわめて重大な危険にさら されようとしています。彼の力によって、これら男たちと結んだ合意書さえ、ポントスへの航海と アテナイに戻る航海用に金が貸されたことを支持する証言があるにもかわらず、私の助けにな らなくなっています。あなた方、陪審員の皆さん、アテナイ人が穀物を他の港に輸送すること、 あるいはアテナイ以外の市場で用いる金銭を貸すことに、法律がいかに厳しいかは熟知され ています。それらが、どんな罰がなるか、それがどれくらい厳しいか、それが恐れられているか は承知されているはずです。 [51] そこで、彼らに法律を読み聞かせて下さい。そうすればより正確な情報を持つようになる かもしれません。 法律 アテナイ人あるいはアテナイ居住の外国人、彼らの管理されている人々が、アテナイに穀物や その他特別指定品を持ち込まない船を、担保にして、金品を貸付けることは違法である(注)。 この規定に反して金を貸した場合、その情報や金額が、さらに同じ方法で該当の船や穀物 が、港湾管理官に通報される。ただ、港湾管理官はアテナイではなく他の場所に向けての航 海に貸した金について提訴する権限はなく、また区の裁判官であってもどこかの法廷で持ち込 ねば裁判にかけられるものでもありません。 (注) 話者は法律の全文を引用せず、それを短縮し、条文に「等々」を付け加えている。 [52] 法律は、陪審員の皆さん、このように厳しいのです。しかし、誠に不快な人種の彼らは、そ の金をアテナイに持ってくると合意書に明記されていることを承知していながら、アテナイで私 たちから借りた金がキオス島に運ばれるのを許してしまいました。[先のある]ファセリス人の商 人船主がポントスにおいて、あるキオス島民から金銭を借りようとしたとき、そのキオス島民は その商人船主が船内に積んでいるか管理している全商品を担保として手に入れ、またすでに 貸付けを行っている人々が同意するまでは貸さないと宣言しました。彼らは、私たちの商品を キオス島民の担保にすることを認めたことで、そのすべてをその人たちの管理下に委ねしまっ たのです。 [53] それらの取り決めのもとで、彼らはファセリス人商人船主や貸し手のキオス島民とともに、 ポントスから出帆し戻って来たが、あなた方の港に投錨せず泥棒湾に入りました。そして、陪 審員の皆さん、アテナイからポントスまで、そして再びポントスからアテナイまでの航海のため に貸された金銭は、これらの人によってキオス島に持ち去れたのです。 [54] それは私が陳述の冒頭で決めつけたことです―あなた方は金を貸したわれわれに比べ 悪くいわれていません。熟慮して下さい、陪審員の皆さん、この悪漢があなた方にどのように 語ったかを。ある男が、あなた方の法律の上に自分を置こうとしているとき、また海事合意書 を無効としようとしているとき、またあなた方の取引所で貸し出された金が彼らとともになくな り、またキオス島に持ち去られたということは、その男がとりもなおさずわれわれと同様に、あ なた方を足蹴げにしていないとでも思われるのですか? [55] 私の言葉は、陪審員の皆さん、もっぱら彼らに向けて述べたものです。それは私が金を 貸したのが、彼らだからです。それは彼らが付き合っており、私たちに知らせずまた合意書に 反して金を借りた、同郷人のファセリス人商人船主についても同じです。私たちは彼らのあい だで、どんな取り決めがあったかは知りませんが、彼らは知っています。 [56] これが私たちに降りかかっていることの一部始終です。陪審員の皆さんに懇願します、ひ どい仕打ちを受けている私たちに手を差し伸べ、悪事をはたらき、詭弁家に助けを求める彼ら を、彼らのやり口で処罰して下さい。あなた方がそれを行う際、あなた方はおのれの観点に基 づいて、また無節操な男たちの破廉恥ぶりに一切惑わされることなく、決意して下さい。彼らの なかには海事合意書に基づいて商いをしているものもいるのです。 (04/06/30記)
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