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Translation and Commentary
Foreword ▼海上貸付弁論の研究と翻訳▼ デモステネス(Demosthenes、前385?-322、古代ギリシアの弁論家、略歴は末尾参照)の私 法関係法廷弁論は30余論あるが、そのうち海上貸付に関する弁論は5論である。それは前4 世紀半ばのギリシア・アテナイにおける海上貸付をめぐる法廷弁論であるが、それらによって 当時における地中海における海上交易と、それをめぐる金銭貸借の実態をそれなりに知るこ とができる。これら5つの海事法廷における弁論は、実際の裁判のために用意されたものであ るが、彼の弁論ではないとされている。 しかし、海上貸付に関する弁論についての邦訳集はいまだなく、その全貌を知りたいと思っ てきた。但し、デモステネスの弁論の本邦初訳が、 ・ 北嶋美雪他訳『デモステネス弁論集』〈3〉(第20-22弁論所収)、前同〈4〉(第23-26弁論所 収)、京都大学学術出版会、2004、2003 としてはじまっているが、その後の予定は定かでない。 その翻訳シリーズの編別によれば、これら5編のうち第56番以外は、『弾劾』ではなく『抗弁』 となっているが、従来の呼び方のままとした。 また、この海上貸付に関する弁論については、すでに次の論考において総括的な分析が行 われており、それに付け加えるものはさしあたってない。 ・ 前沢伸行稿「紀元前4世紀のアテナイの海上貿易」弓削達・伊藤貞夫編『古典古代の社会と 国家』、東京大学出版会、1977 ・ 伊藤貞夫著『古典期のポリス社会』「第6章古典期アテネの海上交易」、岩波書店、1981 しかし、これら論文は弁論そのものを、それぞれ紹介し、また分析したものではない。そこ で、次の英文テキストを翻訳し、解説を付けることとした。なお、古代ギリシアにおける海上交 易とその海上貸付の実態の概要については、Webページ【1・3・2 ギリシア―エーゲ海限りの 海上帝国―】を参照されたい。 なお、英文テキストはhttp://ancienthistory.about.com/library/bl/bl_text_demosthenes.htmに ある、主として by A. T. Murray, Ph.D., LL.D. Cambridge, MA, Harvard University Press; London, William Heinemann Ltd. 1939. OCLC: 10903477 ISBN: 0674993519 である。
▼海事法廷の構成と一方の当事者の弁論▼
ここでは、海上貸付に関する弁論を理解する上で、いくつかの点について留意する必要があ る。まず、ここに掲載する弁論はさしあたって海事法廷における原告あるいは被告のどちらか 一方の弁論であるということである。したがって、その場合、他方の言い分は全体としては不明 ということになる。海事法廷の原告や被告はおおむね、アテナイの海外交易を担うことで、アテ ナイ市民の生活を維持している居留外国人である。 そうした海上交易人の紛争を裁くのは、彼ら自身ではなく、アテナイ市民である陪審員であ る。その裁判を多くのアテナイ市民や居留外国人が傍聴していた。弁論はそうした場において 行われるので、大向こうをうならせる形とならざるをえない。なお、これら海上貸付に直接に携 わる、それなりに富裕な居留外国人の背後には、彼らに海上貸付金を提供する、さらに富裕 なアテナイ市民がいた。 次ぎに、一般の商取引が証人主義であったの対して、当時の海上貸付は文書主義であった とされる。海上貸付に当たっては、口頭による契約ではなく(ばかりではなく)、おおむね契約書 が作成された。しかし、契約書の作成や第三者への寄託、金品の貸付や返済、そして船の出 帆や帰港に当たって、複数の証人が立てられた。これは文書主義の不備を、証人主義でもっ て補うものとされ、海上貸付の多額さとその契約の複雑さに基づくものであった。 海上貸付をめぐる裁判において契約書が重視されたが、話術のよしわるしが生死を決した ギリシアでは、当事者や証人の証言が裁決を左右したとみられる。そうした意味合いを持つの が、この海事弁論である。 それでありながら、その契約書はもとより、様々な法律について、その具体的な内容が示さ れているわけではない。 こうした海事法廷に、海上交易の財務の実体をなしてきた海上貸付をめぐる紛争が持ち込ま れる。かれら海上交易人たちの虚々実々の駆け引きが、どのようなものであったかを海事裁 判の弁論は教えてくれる。 なお、アテナイにおける一般的な司法や訴訟の仕組みについては、次のサイトを参考になる。 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/lysias/lys0.html
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