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船員口入れ業と船内高利貸制

篠 原 陽 一

1 ボーレンの盛衰
 船員労働の特殊性はいくつかあるが、船員が特定の船会社に継続雇用されていない場合
は、再び乗船して労働するためには、そのつど職探しをしなければならない。その時、田舎に住
む船員はどうしても、港湾都市に出向いて寄宿するほかはないし、また生活費がなくなれば誰
かに借金するしかない。それらの便宜を与えてくれるのが、いわゆるボーレン(Boardinghouseの
略)であった。
 ボーレンは大新聞に様々な広告を出して、海員募集に励んでいた。それに対し、たとえば元帥
海軍大将伯爵伊東祐亨君題字……日本郵船兜寰ミ長加藤正義君序文……衆議院議員海軍
少将井上敏文君校閲、海国日報記者伊古田天囚著『海員出身便覧』(牧書房、明治41年)といっ
た、今日でいえば「船員コースガイド」が出版されていた。
 それによると、主要な港には海員媒介、海員宿泊所、海員取扱所などといった看板を掲げて、
船員をたぶらかしているものがいて、「船員になりたいと申込むと、本人の戸籍謄本が必要だと
云ふて……35銭、船員手帳下付請求の手数料として1円50銭より2円50銭……日本海員液済
会に申し込めば50銭……。1か月分の宿泊料を前金で大抵9円位とられ……2、3日間居てすぐ
に乗っても、1か月分の宿泊料は全部取られる」という。
 当時、一人前の水火夫の給料は月額6-9円であったので、ボーレンは周旋手数料や寄宿代と
して、少なくとも1か月の賃金を頂戴していたのである。そこで、「船員志望者は如何にすれば安
全か」という見出しで、海軍大将有栖川宮威仁親王殿下を推戴している日本海員液済会が行っ
ている海員養成や海員媒介が、最善であると宣伝している。なお、江戸時代には十分一銀とい
う、口入れや仲介、周旋の手数料として、給銀や前借金から1割をとる、慣習があった。
 『中央公論』昭和4年3月号に、浦島光雄「海のシャイロック―あるいはガジの掠り―」という文
章が掲載されている。それによると、「蛇目型の味噌汁、臭い鮭の切身、煎餅蒲団に南京虫の驚
くべき包囲攻撃、所在なさに死にそうな退屈、攻め殺されそうな焦燥、そして袂糞をほじくってバ
ット代わりに吸う―これがボーレンの総てである」とされている。ボーレンには、「沖廻り」という使
い走りがいて、入港船に出向いて船員のはめ込む先を用意していた。
 ボーレンは、各港に必ずあった。その数は定かでないが、大正5年には163を数え、そのうち神
戸34、横浜28、大阪20、門司・下関・函館各12であった。大正11年船員職業紹介法が施行され
たときには、有料紹介所65か所、無料紹介所27か所に減少したことになっている。そのなかで
も、神戸の高島米松、中村弥吉、藤原喜代松、横浜の赤木万造、門司の森田甚太郎が、有名で
あったかのようである。
 それらボーレンは、それぞれ船員を供給する船会社の縄張りを持っていた。たとえば、高島米
松は沢山汽船や八馬汽船、国際汽船などと結びついていたとされる。とくに、三井船舶の部員は
島原半島出身者が多いが、それは長野金一(三池の八代屋)が一手のボーレンとなっていたか
らである。
 第1次世界大戦で船員不足が深刻になると、ボーレンは最盛期を迎える。しかし、大正9年ILO
第2回国際労働総会(第1回海事総会)が開催され、その主要な課題は船員有料職業紹介の廃
止であった。
 そして、大正10年には日本海員組合が結成される。自らも無料紹介を始めるとともに、海員液
済会の紹介事業はILO条約に違反するとし、それから職業紹介権を取り上げる運動を強力に
展開する。その成果として、大正15年に船主団体と共同で運営する海事協同会が設立され、無
料船員職業紹介が開始される。
 従来のようなかたちで営業できないと先見した、赤木、森田といった有力なボーレンは海洋統
一協会に参加せず、その宿泊所を海員組合に提供し、それと結びつく。さらに、それと対立してき
た同協会も大正15年には海員組合と合同する。しかし、それとの協定により、その宿泊所を従
来通り経営し続ける。その一方で、多くのボーレンはすでに海事協同会が設立きれる以前から、
船会社の船員係やその補助者となり(船会社がそうした地位を用意した)、従来通りの紹介を続
けていた。なかには、1人で15社の船員係を兼務するボーレンもいたといわれる。ただ、その場
合、従来とは違って、海事協同会において求人・求職そして雇人契約が成立したという形式は、
整えざるをえなかった。
 なお、ボーレンが戦後復活しなかったのは、一方において全日本海員組合が戦時統制として
の継続雇用に依拠して船員を完全に組織し、他方において戦後船員法が有給休暇制を定め
たため、船会社が継続雇用することが組合対策となると判断したからである。

2 船内高利貸制
 戦前、船員のボーレンでの借金は水火夫長が肩代わりしてくれるが、それはあくまでも船員へ
の貸し金としてである。そうした貸し金には、通常、月2割の利子がつく。水火夫長の受けが良い
と、月1割5分となる。もちろん、利子は丸1か月借りても、2、3日借りても、同じである。なぜ、こうし
た高利になるかといえば、水火夫長も陸の金主から、これまた高利で借りているからである。
 給料は、毎月計算されるが、毎月決まった日に全額が支払われるのでなく、外航船であれば
内地に帰港して、はじめて精算払いとなる。ただ、それは水火夫長を通じて手渡された。
 そこで、頭(金)がなくなると、誰かに借金するしかないが、それは水火夫長をおいてない。船員
が、それで利子を取られることはさておき、借金をほぼ強制させられるところに、さらに問題があ
った。
 あくどい水火夫長は、航路の長短にもよるが、「大当たり」といって、誰彼にも50-100円ぐらい
を、いやおうもなく貸し付けた。その上で、賭博や遊興を奨励して、借金を増額させた。
 「船が港に碇泊しているとき、上陸もせず、部屋で寝てをれば、野郎の鼻先きで10円ペーパー
をビラビラさせ……サアサア行って来い行って来いと…・押しつけてゆく」、また、「汽缶掃除で…
…ヘトヘトに疲れ切って帰って来た大部屋の中央にビールを担ぎ込ませ……ヤア、1同御苦労
だったなア、まア遠慮なく一杯やってくんな:…・そのビールは1本1円の代価で、其の上2割の利
子がつく」(浦島光雄「海のシャイロック」、『中央公論』、昭和4年3月号)。
 船内賭博は、今どきの賭け麻雀ではなく、(駒)丁半、オイチョカブ、長崎ばななど、誰とでも短時
間で勝負がつくものであった。とくに、給料支払い前になると、水火夫長は大部屋の手下(おおむ
ね水火夫のヘッド)を煽って、賭場を張らせる。それにあたって、水火夫長は「金駒」を発行する。
勝った者は、水火夫長に現金に交換してもらうことになるが、1割の「駒上がり」という寺銭を取ら
れるし、負けた者は当然、2割の利子がついて回る。
 さらに、悪質なのは、職探しをしている船員に、乗船中の他の船員の借金を引き受けるなら乗
せてやろうといって、ありもしない借金を抱え込ませることである。他の船員から借金が押し付け
られることもある。水火夫長も、脱船する恐れがあるので、100円以上はなかなか貸さない。
 そこで、水火夫長は借りたがる船員に、借金の少ない船員の「頭を借りる」ように仕向ける。そ
の船員に脅かされて、「頭を貸す」はめに陥った船員は泣く泣く利子を支払わされることとなる。
 それでは、船員が水火夫長から借金しなければ、どうなるか。「借りっぶりの悪い奴には、昇給
の遅延、容赦なき下船、暴風の夜の生命とりの作業、マスト上がり等々の威嚇がその鞭であり、
サアペルである」(同前)。いくら、船員がまじめに働いても、決してうだつが上がらないようになっ
ていたのである。
 水火夫長が船員に小遣い銭を用立てられないようでは、人の風上に立っていられるわけがな
い。水火夫長は大いに儲けた、それほど儲けていないなどの説があるが、見栄を張った生活を
したくなるし、せざるをえないので、浪費は避けられないし、その上で船会社や警察のお偉がた
へのつけ届け、港のボスとのつきあいなど、多額の出費があった。それに対して水火夫長に金
を貸していたボーレンや港のボス、金貸しなどは、しつかりと稼いでいたとされる。
 こうした船内高利貸しという悪習は、次第に廃れていったが、根強く残っていたのが、今日から
すれば意外であるが、日本郵船や大阪商船であった。それら会社は、大正9、10年に予備員制
度(甲種は賃金全額、乙種は賃金3割)を設けた。その限りで、船員は一応、継続雇用のチャンス
をえられることになった。その運用は、陸員の監督が強化されたとはいえ、従来通り、水火夫長
に委ねられた。
 それら会社の水火夫長は、日本海員組合に対抗するため設立された郵船属員協会、商船互
友倶楽部を牛耳り、それを通じて船員の選り分けや、貸し金の申し送りや取り立てを行ってい
た。さらに、それら団体に船員が会員として納入した厚生基金が、個人の貸し金のカタとなり、ま
た水火夫長の貸し金の元手になったとされる。
 大正末期から昭和10年代にかけて、特に日本郵船の若手船員は高利貸撤廃の闘いを続け
る。その先頭に立ったのが、大正13年に結成された海員刷新会であった。その撤廃運動は、そ
の提案が翌年の日本海員組合第4回定期大会で否決されたものの続けられ、かなりの成果を
上げたが、完全に駆逐されなかった。
 昭和10年、海員組合では失業救済費の不正を追求する運動が始まる。それに呼応して、日本
郵船の若手船員は高利貸撤廃の闘いを再開する。それは世間の注目を浴びるまでになる。そ
れを反映して、昭和12年改正の船員法は賃金直渡しを規定するのである。

初出書誌:海員史話会著『聞き書き・海上の人生 大正・昭和船員群像』、人間選書152、
農山漁村文化協会、1990

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